た。とりわけ女の人の声には、どこか皮膚の表面を撫《な》でるような、甘美でうっとりとした魅力があった。すべての物象と人物とが、影のように往来していた。
 私が始めて気付いたことは、こうした町全体のアトモスフィアが、非常に繊細な注意によって、人為的に構成されていることだった。単に建物ばかりでなく、町の気分を構成するところの全神経が、或る重要な美学的意匠にのみ集中されていた。空気のいささかな動揺にも、対比、均斉《きんせい》、調和、平衡等の美的法則を破らないよう、注意が隅々《すみずみ》まで行き渡っていた。しかもその美的法則の構成には、非常に複雑な微分数的計算を要するので、あらゆる町の神経が、非常に緊張して戦《おのの》いていた。例《たと》えばちょっとした調子はずれの高い言葉も、調和を破るために禁じられる。道を歩く時にも、手を一つ動かす時にも、物を飲食する時にも、考えごとをする時にも、着物の柄を選ぶ時にも、常に町の空気と調和し、周囲との対比や均斉を失わないよう、デリケートな注意をせねばならない。町全体が一つの薄い玻璃《はり》で構成されてる、危険な毀《こわ》れやすい建物みたいであった、ちょっとしたバ
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