人は店先で算盤《そろばん》を弾《はじ》きながら、終日白っぽい往来を見て暮しているし、官吏は役所の中で煙草《タバコ》を吸い、昼飯の菜のことなど考えながら、来る日も来る日も同じように、味気ない単調な日を暮しながら、次第に年老いて行く人生を眺《なが》めている。旅への誘いは、私の疲労した心の影に、とある空地《あきち》に生《は》えた青桐《あおぎり》みたいな、無限の退屈した風景を映像させ、どこでも同一性の法則が反覆している、人間生活への味気ない嫌厭《けんえん》を感じさせるばかりになった。私はもはや、どんな旅にも興味とロマンスをなくしてしまった。
 久しい以前から、私は私自身の独特な方法による、不思議な旅行ばかりを続けていた。その私の旅行というのは、人が時空と因果の外に飛翔《ひしょう》し得る唯一の瞬間、即《すなわ》ちあの夢と現実との境界線を巧みに利用し、主観の構成する自由な世界に遊ぶのである。と言ってしまえば、もはやこの上、私の秘密について多く語る必要はないであろう。ただ私の場合は、用具や設備に面倒な手間がかかり、かつ日本で入手の困難な阿片《あへん》の代りに、簡単な注射や服用ですむモルヒネ、コカイン
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