は、大人になった今日でも、長く私の解きがたい謎《なぞ》になってる。
次に語る一つの話も、こうした私の謎に対して、或る解答を暗示する鍵《かぎ》になってる。読者にしてもし、私の不思議な物語からして、事物と現象の背後に隠れているところの、或る第四次元の世界――景色の裏側の実在性――を仮想し得るとせば、この物語の一切は真実《レアール》である。だが諸君にして、もしそれを仮想し得ないとするならば、私の現実に経験した次の事実も、所詮《しょせん》はモルヒネ中毒に中枢を冒された一詩人の、取りとめもないデカダンスの幻覚にしか過ぎないだろう。とにかく私は、勇気を奮って書いて見よう。ただ小説家でない私は、脚色や趣向によって、読者を興がらせる術《すべ》を知らない。私の為《な》し得ることは、ただ自分の経験した事実だけを、報告の記事に書くだけである。
2
その頃私は、北越地方のKという温泉に滞留していた。九月も末に近く、彼岸を過ぎた山の中では、もうすっかり秋の季節になっていた。都会から来た避暑客は、既に皆帰ってしまって、後《あと》には少しばかりの湯治客《とうじきゃく》が、静かに病を養っているのであった。秋の日影は次第に深く、旅館の侘《わび》しい中庭には、木々の落葉が散らばっていた。私はフランネルの着物を着て、ひとりで裏山などを散歩しながら、所在のない日々の日課をすごしていた。
私のいる温泉地から、少しばかり離れた所に、三つの小さな町があった、いずれも町というよりは、村というほどの小さな部落であったけれども、その中の一つは相当に小ぢんまりした田舎町で、一通りの日常品も売っているし、都会風の飲食店なども少しはあった。温泉地からそれらの町へは、いずれも直通の道路があって、毎日定期の乗合馬車《のりあいばしゃ》が往復していた。特にその繁華なU町へは、小さな軽便《けいべん》鉄道が布設されていた。私はしばしばその鉄道で、町へ出かけて行って買物をしたり、時にはまた、女のいる店で酒を飲んだりした。だが私の実の楽しみは、軽便鉄道に乗ることの途中にあった。その玩具《おもちゃ》のような可愛い汽車は、落葉樹の林や、谷間の見える山峡《やまかい》やを、うねうねと曲りながら走って行った。
或る日私は、軽便鉄道を途中で下車し、徒歩でU町の方へ歩いて行った。それは見晴しの好《よ》い峠の山道を、ひとりでゆっくり歩きたかったからであった。道は軌道《レール》に沿いながら、林の中の不規則な小径を通った。所々に秋草の花が咲き、赫土《あかつち》の肌《はだ》が光り、伐《き》られた樹木が横たわっていた。私は空に浮んだ雲を見ながら、この地方の山中に伝説している、古い口碑《こうひ》のことを考えていた。概して文化の程度が低く、原始民族のタブーと迷信に包まれているこの地方には、実際色々な伝説や口碑があり、今でもなお多数の人々は、真面目《まじめ》に信じているのである、現に私の宿の女中や、近所の村から湯治に来ている人たちは、一種の恐怖と嫌悪《けんお》の感情とで、私に様々のことを話してくれた。彼らの語るところによれば、或る部落の住民は犬神に憑《つ》かれており、或る部落の住民は猫神に憑かれている。犬神に憑かれたものは肉ばかりを食い、猫神に憑かれたものは魚ばかり食って生活している。
そうした特異な部落を称して、この辺の人々は「憑き村」と呼び、一切の交際を避けて忌《い》み嫌《きら》った。「憑き村」の人々は、年に一度、月のない闇夜《やみよ》を選んで祭礼をする。その祭の様子は、彼ら以外の普通の人には全く見えない。稀《ま》れに見て来た人があっても、なぜか口をつぐんで話をしない。彼らは特殊の魔力を有し、所因の解らぬ莫大《ばくだい》の財産を隠している。等々。
こうした話を聞かせた後で、人々はまた追加して言った。現にこの種の部落の一つは、つい最近まで、この温泉場の附近にあった。今ではさすがに解消して、住民は何所《どこ》かへ散ってしまったけれども、おそらくやはり、何所かで秘密の集団生活を続けているにちがいない。その疑いない証拠として、現に彼らのオクラ(魔神の正体)を見たという人があると。こうした人々の談話の中には、農民一流の頑迷《がんめい》さが主張づけられていた。否《いや》でも応でも、彼らは自己の迷信的恐怖と実在性とを、私に強制しようとするのであった。だが私は、別のちがった興味でもって、人々の話を面白く傾聴していた。日本の諸国にあるこの種の部落的タブーは、おそらく風俗習慣を異にした外国の移住民や帰化人やを、先祖の氏神にもつ者の子孫であろう。あるいは多分、もっと確実な推測として、切支丹《キリシタン》宗徒の隠れた集合的部落であったのだろう。しかし宇宙の間には、人間の知らない数々の秘密がある。ホレーシオが言うように、理智
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