ごちやしてゐる路地《ろじ》を求めて、毎日用もないのにぶらついてゐる。或る人たちは、郊外の明るい林を好んで、若い木の芽や材木の匂《にお》ひを嗅《か》いでゐるのに、或る人は閑静の古雅を愛して、物寂《ものさ》びた古池に魚の死体が浮いてるやうな、芭蕉庵《ばしようあん》の苔《こけ》むした庭にたたずみ、いつもその侘しい日影を見つめて居る。
げに人生はふしぎなもので、無限のかなしい思ひやあこがれにみたされてゐる。人はその心境をもとめるために、現実にも夢の中にも、はてなき自然の地方を徘徊《はいかい》する。さうして港の波止場《はとば》に訪ねくるとき、汽船のおーぼー[#「おーぼー」に傍点]といふ叫びを聞き、檣《ほばしら》のにぎやかな林の向うに、青い空の光るのをみてゐると、しぜんと人間の心のかげに、憂愁のさびしい涙がながれてくる。
私が大井町へ越して来たのは、冬の寒い真中であつた。私は手に引つ越しの荷物をさげ、古ぼけた家具の類や、きたないバケツや、箒《ほうき》、炭取りの類をかかへ込んで、冬のぬかるみの街を歩き廻つた。空は煤煙でくろずみ、街の両側には、無限の煉瓦《れんが》の工場が並んでゐた。冬の日は鈍く
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