る。彼等の生活[#「生活」に傍点]をさまたげまい。なぜなら娘たちにとつては、詩が生活の一切だから。けれども僕にとつては! 僕は肯定さるべき所の、何物の観念でもない!』
 さうして心が暗くなり、悲しげにそこを去らうとした。けれどもその時、背後をふりかへつた娘の顔が、一瞥《いちべつ》の瞬間にまで、ふしぎな電光写真のやうに印象された。なぜならその娘こそ、この頃私の夢によく現はれてくるやさしい娘――悲しい夢の中の恋人――物言はぬお嬢さん――にそつくりだから。いくたび、私は夢の中でその人と逢つてるだらう。いつも夜あけ方のさびしい野原で、或《あるい》は猫柳の枯れてる沼沢地方で、はかない、しづかな、物言はぬ媾曳《あいびき》をしてゐるのだ。
 『お嬢さん!』
 いつも私が、丁度夢の中の娘に叫ぶやうに、ふいに白日《はくじつ》の中に現はれたところの、現実の娘に呼びかけようとした。どうして、何故に、夢が現実にやつて来たのだらうか。ふしぎな、言ひやうもない予感が、未知の新しい世界にまで、私を幸福感でいつぱいにした。実はその新しい世界や幸福感やは、幾年も幾年も遠い昔に、私がすつかり忘れてしまつてゐたものであつた
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