。人は自分の思ひを自然に映して、それぞれの景色の中に居住してゐる。

     大井町!

 煙突と工場と、さうして労働者の群がつてゐる、あの賑《にぎ》やかでさびしい街に、私は私の住居を見つけた。私の泥長靴《どろながぐつ》をひきずりながら、まいにちあの景色の中を歩いてゐた。何といふ好い町だらう。私は工場裏の路地を歩いて、とある長屋の二階窓から、鼠《ねずみ》の死骸《しがい》を投げつけられた。意地の悪い土方の嬶等が、いつせいに窓から顔を突き出し、ひひひひひと言つて笑つた。何といふうれしい出来事でせう。私はかういふ人生の風物からどんな哲学でも考へうるのだ。
 どうせ私のやうな放浪者には、東京中を探したつて、大井町より好い所はありはしない。冬の日の空に煤煙! さうして電車を降《お》りた人人が、みんな煉瓦の建物に吸ひこまれて行く。やたら凸凹《でこぼこ》した、狭くきたない混雑の町通り。路地は幌馬車でいつもいつぱい。それで私共の家族といへば、いつも貧乏にくらしてゐるのだ。(年刊『詩と随筆集』第一輯1928年5月発行)

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
前へ 次へ
全35ページ中13ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
萩原 朔太郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング