だい君。」
と、半ば笑ひながら友が答へた。
「そりや君。中の骨組を鉄筋にして、コンクリート建てにした家のことぢやないか。それが何うしたつてんだ。一体。」
「ちがふ。僕はそれを聞いてるのぢやないんだ。」
と、不平を色に現はして私が言つた。
「それの意味なんだ。僕の聞くはね。つまり、その……。その言葉の意味……表象……イメーヂ……。つまりその、言語のメタフイヂツクな暗号。寓意《ぐうい》。その秘密。……解るね。つまりその、隠されたパズル。本当の意味なのだ。本当の意味なのだ。」
この本当の意味と言ふ語に、私は特に力を入れて、幾度も幾度も繰返した。
友はすつかり呆気に取られて、放心者のやうに口を開きながら、私の顔ばかり視《み》つめて居た。私はまた繰返して、幾度もしつツこく質問した。だが友は何事も答へなかつた。そして故意に話題を転じ、笑談に紛らさうと努め出した。私はムキになつて腹が立つた。人がこれほど真面目《まじめ》になつて、熱心に聞いてる重大事を、笑談に紛らすとは何の事だ。たしかに、此奴は自分で知つてるにちがひないのだ。ちやんとその秘密を知つてゐながら、私に教へまいとして、わざと薄とぼけて居るにちがひないのだ。否、この友人ばかりではない。いつか電車の中で逢《あ》つた男も、私の周囲に居る人たちも、だれも皆知つてるのだ。知つて私に意地わるく教へないのだ。
「ざまあ見やがれ。此奴等!」
私は心の中で友を罵《ののし》り、それから私の知つてる範囲の、あらゆる人人に対して敵愾《てきがい》した。何故に人人が、こんなにも意地わるく私にするのか。それが不可解でもあるし、口惜しくもあつた。
だがしかし、私が友の家を跳び出した時、ふいに全く思ひがけなく、その憑き物のやうな言葉の意味が、急に明るく、霊感のやうに閃《ひら》めいた。
「虫だ!」
私は思はず声に叫んだ。虫! 鉄筋コンクリートといふ言葉が、秘密に表象してゐる謎の意味は、実にその単純なイメーヂに過ぎなかつたのだ。それが何故に虫であるかは、此所《ここ》に説明する必要はない。或る人人にとつて、牡蠣《かき》の表象が女の肉体であると同じやうに、私自身にすつかり解りきつたことなのである。私は声をあげて明るく笑つた。それから両手を高く上げ、鳥の飛ぶやうな形をして、嬉《うれ》しさうに叫びながら、町の通りを一散に走り出した。(『文藝』1937年1月号)
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貸家札
熱帯地方の砂漠《さばく》の中で、一疋の獅子《しし》が昼寝をして居た。肢体《したい》をできるだけ長く延ばして、さもだるさうに疲れきつて。すべての猛獣の習性として、胃の中の餌物《えもの》が完全に消化するまで、おそらく彼はそのポーズで永遠に眠りつづけて居るのだらう。赤道直下の白昼《まひる》。風もなく音もない。万象《ばんしよう》の死に絶えた沈黙《しじま》の時。
その時、不意に獅子が眠から目をさました。そして耳をそば立て、起き上り、緊張した目付をして、用心深く、機敏に襲撃の姿勢をとつた。どこかの遠い地平の影に、彼は餌物を見つけたのだ。空気が動き、万象の沈黙《しじま》が破れた。
一人の旅行者――ヘルメツト帽を被《かぶ》り、白い洋服をきた人間が、この光景を何所《どこ》かで見て居た。彼は一言の口も利《き》かず、黙つて砂丘の上に生えてる、椰子《やし》の木の方へ歩いて行つた。その椰子の木には、ずつと前から、長い時間の風雨に曝《さら》され、一枚の古い木札が釘《くぎ》づけてあつた。
(貸家アリ。瓦斯《ガス》、水道付。日当リヨシ。)
ヘルメツトを被つた男は、黙つてその木札をはがし、ポケツトに入れ、すたすたと歩きながら、地平線の方へ消えてしまつた。(『いのち』1937年10月号、『シナリオ研究』1937年10月号)
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この手に限るよ
目が醒《さ》めてから考へれば、実に馬鹿馬鹿しくつまらぬことが、夢の中では勿体《もつたい》らしく、さも重大の真理や発見のやうに思はれるのである。私はかつて夢の中で、数人の友だちと一緒に、町の或る小綺麗《こぎれい》な喫茶店に入つた。そこの給仕女に一人の悧発《りはつ》さうな顔をした、たいそう愛くるしい少女が居た。どうにかして、皆はそのメツチエンと懇意になり、自分に手なづけようと焦燥した。そこで私が、一つのすばらしいことを思ひついた。少女の見て居る前で、私は角砂糖の一つを壺《つぼ》から出した。それから充分に落着いて、さも勿体らしく、意味ありげの手付をして、それを
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