民衆のふるい傳統は疊の上になやんでゐる。
ああこの厭やな天氣
日ざしの鈍い季節。

ぼくの感情を燃え爛すやうな構想は
ああもう どこにだつてありはしない。


 桃李の道
   老子の幻想から

聖人よ あなたの道を教へてくれ
繁華な村落はまだ遠く
鷄《とり》や犢《こうし》の聲さへも霞の中にきこえる。
聖人よ あなたの眞理をきかせてくれ。
杏の花のどんよりとした季節のころに
ああ私は家を出で なにの學問を學んできたか
むなしく青春はうしなはれて
戀も 名譽も 空想も みんな泥柳の牆《かき》に涸れてしまつた。
聖人よ
日は田舍の野路にまだ高く
村村の娘が唱ふ機歌《はたうた》の聲も遠くきこえる。
聖人よ どうして道を語らないか?
あなたは默し さうして桃や李やの咲いてる夢幻の郷《さと》で
ことばの解き得ぬ認識の玄義を追ふか。
ああ この道徳の人を知らない
晝頃になつて村に行き
あなたは農家の庖廚に坐るでせう。
さびしい路上の聖人よ
わたしは別れ もはや遠くあなたの沓音《くつおと》を聽かないだらう
悲しみのしのびがたい時でさへも
ああ 師よ! 私はまだ死なないでせう。
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