まるまで
あなたはおほきな黒い風琴をお彈きなさい。
おそろしい眞暗の壁の中で
あなたは熱心に身をなげかける
あなた!
ああなんといふはげしく 陰鬱なる感情のけいれんよ


 憂鬱の川邊

川邊で鳴つてゐる
蘆や葦のさやさやといふ音はさびしい。
しぜんに生えてる
するどい ちひさな植物 草本《さうほん》の莖の類はさびしい。
私は眼を閉ぢて
なにかの草の根を噛まうとする
なにかの草の汁をすふために 憂鬱の苦い汁をすふために。
げにそこにはなにごとの希望もない。
生活はただ無意味な憂鬱の連なりだ
梅雨だ
じめじめとした雨の點滴のやうなものだ
しかし ああ また雨! 雨! 雨!
そこには生える不思議の草本
あまたの悲しい羽蟲の類
それは憂鬱に這ひまはる 岸邊にそうて這ひまはる。
じめじめした川の岸邊を行くものは
ああこの光るいのちの葬列か
光る精神の病靈か
物みなしぜんに腐れゆく岸邊の草むら
雨に光る木材質のはげしき匂ひ。


 佛の見たる幻想の世界

花やかな月夜である
しんめんたる常盤木の重なりあふところで
ひきさりまたよせかへす美しい浪をみるところで
かのなつかしい宗教の道はひらかれ
かのあやしげなる聖者の夢はむすばれる。
げにそのひと[#「そのひと」に傍点]の心をながれるひとつの愛憐
そのひとの瞳孔《ひとみ》にうつる不死の幻想
あかるくてらされ
またさびしく消えさりゆく夢想の幸福と、その怪しげなるかげかたち。
ああ そのひとについて思ふことは
そのひとの見たる幻想の國をかんずることは
どんなにさびしい生活の日暮れを色づくことぞ
いま疲れてながく孤獨の椅子に眠るとき
わたしの家の窓にも月かげさし
月は花やかに空にのぼつてゐる。

佛よ
わたしは愛する おんみの見たる幻想の蓮の花瓣を
青ざめたるいのちに咲ける病熱の花の香氣を
佛よ
あまりに花やかにして孤獨なる。


 鷄

しののめきたるまへ
家家の戸の外で鳴いてゐるのは鷄《にはとり》です。
聲をばながくふるはして
さむしい田舍の自然から呼びあげる母の聲です
とをてくう とをるもう とをるもう。

朝のつめたい臥床《ふしど》の中で
私のたましひは羽ばたきする。
この雨戸の隙間からみれば
よもの景色はあかるくかがやいてゐるやうです。
されどもしののめきたるまへ
私の臥床にしのびこむひとつの憂愁。
けぶれる木木の梢をこえ

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