どんな瞑想をもいきいきとさせ
どんな涅槃にも溶け入るやうな
そんな美しい月夜をみた。
「思想は一つの意匠であるか?」
佛は月影を踏み行きながら
かれのやさしい心にたづねた。
顏
ねぼけた櫻の咲くころ
白いぼんやりした顏がうかんで
窓で見てゐる。
ふるいふるい記憶のかげで
どこかの波止場で逢つたやうだが
菫の病鬱の匂ひがする
外光のきらきらする硝子窓から
ああ遠く消えてしまつた 虹のやうに。
私はひとつの憂ひを知る
生涯《らいふ》のうす暗い隅を通つて
ふたたび永遠にかへつて來ない。
白い雄鷄
わたしは田舍の鷄《にはとり》です
まづしい農家の庭に羽ばたきし
垣根をこえて
わたしは乾《ひ》からびた小蟲をついばむ。
ああ この冬の日の陽ざしのかげに
さびしく乾地の草をついばむ
わたしは白つぽい病氣の雄鷄《をんどり》
あはれな かなしい 羽ばたきをする生物《いきもの》です。
私はかなしい田舍の鷄《にはとり》
家根をこえ
垣根をこえ
墓場をこえて
はるかの野末にふるへさけぶ
ああ私はこはれた日時計 田舍の白つぽい雄鷄《をんどり》です。
囀鳥
軟風のふく日
暗鬱な思惟《しゐ》にしづみながら
しづかな木立の奧で落葉する路を歩いてゐた。
天氣はさつぱりと晴れて
赤松の梢にたかく囀鳥の騷ぐをみた
愉快な小鳥は胸をはつて
ふたたび情緒の調子をかへた。
ああ 過去の私の鬱陶しい瞑想から 環境から
どうしてけふの情感をひるがへさう
かつてなにものすら失つてゐない。
人生においてすら
人生においてすら 私の失つたのは快適だけだ
ああしかし あまりにひさしく失つてゐる。
惡い季節
薄暮の疲勞した季節がきた。
どこでも室房はうす暗く
慣習のながい疲れをかんずるやうだ。
雨は往來にびしよびしよして
貧乏な長屋が竝びてゐる。
こんな季節のながいあひだ
ぼくの生活は落魄して
ひどく窮乏になつてしまつた。
家具は一隅に投げ倒され
冬の 埃の 薄命の日ざしのなかで
蠅はぶむぶむと窓に飛んでる。
こんな季節のつづく間
ぼくのさびしい訪問者は
老年の よぼよぼした いつも白粉くさい貴婦人です
ああ彼女こそ僕の昔の戀人
古ぼけた記憶の かあてんの影をさまよひあるく情慾の影の影だ。
こんな白雨のふつてる間
どこにも新しい信仰はありはしない。
詩人はありきたりの思想をうたひ
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