さうしてとりかへしのつかない悔恨ばかりが
野鼠のやうに走つて行つた。


 閑雅な食慾

松林の中を歩いて
あかるい氣分の珈琲店《かふえ》をみた
遠く市街を離れたところで
だれも訪づれてくるひとさへなく
松間の かくされた 追憶の 夢の中の珈琲店《かふえ》である。
をとめは戀戀の羞をふくんで
あけぼののやうに爽快な 別製の皿を運んでくる仕組
私はゆつたりとふほく[#「ふほく」に傍点]を取つて
おむれつ ふらいの類を喰べた
空には白い雲がうかんで
たいそう閑雅な食慾である。


 馬車の中で

馬車の中で
私はすやすやと眠つてしまつた。
きれいな婦人よ
私をゆり起してくださるな
明るい街燈の巷をはしり
すずしい緑蔭の田舍をすぎ
いつしか海の匂ひも行手にちかくそよいでゐる。
ああ蹄の音もかつかつとして
私はうつつにうつつを追ふ
きれいな婦人よ
旅館の花ざかりなる軒にくるまで
私をゆり起してくださるな。


 野景

弓なりにしなつた竿の先で
小魚がいつぴき ぴちぴちはねてゐる
おやぢは得意で有頂天だが
あいにく世間がしづまりかへつて
遠い牧場では
牛がよそつぽをむいてゐる。


 絶望の逃
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