男だ
けふのかぐはしい初夏の野原で
きらきらする木立の中で
手には空色の手ぶくろをすつぽりとはめてみた
腰にはこるせつと[#「こるせつと」に傍点]のやうなものをはめてみた
襟には襟おしろいのやうなものをぬりつけた
かうしてひつそりとしな[#「しな」に傍点]をつくりながら
わたしは娘たちのするやうに
こころもちくびをかしげて
あたらしい白樺の幹に接吻した。
くちびるにばらいろのべにをぬつて
まつしろの高い樹木にすがりついた。


 贈物にそへて

兵隊どもの列の中には
性分のわるいものが居たので
たぶん標的の圖星をはづした
銃殺された男が
夢のなかで息をふきかへしたときに
空にはさみしいなみだがながれてゐた。
『これはさういふ種類の煙草です』


 遊泳

浮びいづるごとくにも
その泳ぎ手はさ青なり
みなみをむき
なみなみのながれははしる。
岬をめぐるみづのうへ
みな泳ぎ手はならびゆく。
ならびてすすむ水のうへ
みなみをむき
沖合にあるもいつさいに
祈るがごとく浪をきる。


 瞳孔のある海邊

地上に聖者あゆませたまふ
烈日のもと聖者海邊にきたればよする浪浪
浪浪砂をとぎさるうへを
聖者ひたひたと歩行したまふ。
おん脚白く濡らし
怒りはげしきにたへざれば
足なやみひとり海邊をわたらせたまふ。
見よ 烈日の丘に燃ゆる瞳孔あり
おん手に魚あれども泳がせたまはず
聖者めんめんと涙をたれ
はてしなき砂金の道を踏み行きたまふ。


 空に光る

わが哀傷のはげしき日
するどく齲齒《むしば》を拔きたるに
この齲齒は昇天し
たちまち高原の上にうかびいで
ひねもす怒りに輝やけり。
みよくもり日の空にあり
わが瞳《め》にいたき
とき金色《こんじき》のちさき蟲
中空に光りくるめけり。


 緑蔭倶樂部

都のみどりば瞳《ひとみ》にいたく
緑蔭倶樂部の行樂は
ちまたに銀をはしらしむ
五月はじめの朝まだき
街樹の下に竝びたる
わがともがらの一列は
はまきたばこの魔醉より
襟脚きよき娘らをいだきしむ。
緑蔭倶樂部の行樂の
その背廣はいちやうにうす青く
みよや都のひとびとは
手に手に白き皿を捧げもち
しづしづとはや遠近《をちこち》を行きかへり
緑蔭倶樂部の會長の
遠き畫廊を渡り行くとき。


 榛名富士

その絶頂《いただき》を光らしめ
とがれる松を光らしめ
峰に粉雪けぶる日も
松に花鳥をつけしめよ
ふるさとの山|遠遠《とほどほ》に
くろずむごとく凍る日に
天景をさへぬきんでて
利根川の上《へ》に光らしめ
祈るがごとく光らしめ。
             ――郷土風物詩――


 くさつた蛤

半身は砂のなかにうもれてゐて
それでゐてべろべろと舌を出してゐる。
この軟體動物のあたまの上には
砂利や潮みづがざらざらざらざら流れてゐる
ながれてゐる
ああ夢のやうにしづかにながれてゐる。

ながれてゆく砂と砂との隙間から
蛤はまた舌べろをちらちらと赤くもえいづる
この蛤は非常に憔悴《やつ》れてゐるのである。
みればぐにやぐにやした心臟がくさりかかつてゐるらしい
それゆゑ哀しげな晩がたになると
青ざめた海岸に坐つてゐて
ちら ちら ちら ちら とくさつた息をするのですよ。
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散文詩  四篇
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「月に吠える」前派の作品
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 吠える犬

月夜の晩に、犬が墓地をうろついてゐる。
この遠い、地球の中心に向つて吠えるところの犬だ。
犬は透視すべからざる地下に於て、深くかくされたるところの金庫を感知することにより。
金庫には翡翠および夜光石をもつて充たされたることを感應せることにより。
吠えるところの犬は、その心靈に於てあきらかに白熱され、その心臟からは螢光線の放射のごときものを透影する。
この青白い犬は、前足をもつて堅い地面を掘らんとして焦心する。
遠い、遠い、地下の世界において微動するものを感應することにより。
吠えるところの犬は哀傷し、狂號し、その明らかに直視するものを掘らんとして、かなしい月夜の墓地に焦心する。

吠えるところの犬は人[#「人」に傍点]である。
なんぢ、忠實なる、敏感なる、しかれどもまつたく孤獨なる犬よ。
汝が吠えることにより、病兒をもつた隣人のために銃をもつて撃たれるまで。
吠えるところの犬は、青白き月夜においての人[#「人」に傍点]である。


 柳

放火、殺人、竊盜、夜行、姦淫、およびあらゆる兇行をして柳の樹下に行はしめよ。夜において光る柳の樹下に。
そもそも柳が電氣の良導體なることを、最初に發見せるもの先祖の中にあり。

手に兇器をもつて人畜の内臟を電裂せんとする兇賊がある。
かざされたるところの兇器は、その生《なま》あたたかき心臟の上におかれ、生
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