かつて信仰は地上にあつた
でうす[#「でうす」に傍点]はいすらええる[#「いすらええる」に傍点]の野にござつて
惡しき大天狗小天狗を退治なされた。
「人は麥餠《むぎもち》だけでは生きないのぢや」
初手の天狗が出たとき
泥薄《でうす》如來の言はれた言葉ぢや
これぢやで皆樣
ひとはたましひが大事でござらう。
たましひの罪を洗ひ淨めて
よくよく昇天の仕度をなされよ。
この世の説教も今日かぎりぢや
明日《あす》はくるす[#「くるす」に傍点]でお目にかからう。
南無童貞|麻利亞《まりや》聖天 保亞羅《ぽうろ》大師
さんたまりや さんたまりや。
信仰のあつい人人は
いるまん[#「いるまん」に傍点]の眼にうかぶ涙をかんじた
悦びの、また悲しみの、ふしぎな情感のかげをかんじた。
ひとびとは天を仰いだ
天の高いところに、かれらの眞神《しんしん》の像《かたち》を眺めた。
さんたまりや さんたまりや。
奇異なるひとつのいめえぢ[#「いめえぢ」に傍点]は
私の思ひをわびしくする
かつて信仰は地上にあつた。
宇宙の 無限の 悠悠とした空の下で
はるかに永生の奇蹟をのぞむ 熱したひとびとの群があつた。
ああいま群集はどこへ行つたか
かれらの幻想はどこへ散つたか。
わびしい追憶の心像《いめえぢ》は、蒼空にうかぶ雲のやうだ。
商業
商業は旗のやうなものである
貿易の海をこえて遠く外國からくる船舶よ
あるいは綿や瑪瑙をのせ
南洋 亞細亞の島島をめぐりあるく異國のまどろすよ。
商業の旗は地球の國國にひるがへり
自由の領土のいたるところに吹かれてゐる。
商人よ
港に君の荷物は積まれ
さうして運命は出帆の汽笛を鳴らした。
荷主よ
水先案内《ぱいろつと》よ
いまおそろしい嵐のまへに むくむくと盛りあがる雲を見ないか
妖魔のあれ狂ふすがたを見ないか
たちまち帆柱は裂きくだかれ
するどく笛のさけばれ
さうして船腹の浮きあがる青じろい死魚を見る。
ああ日はしづみゆき
かなしく沖合にさまよふ不吉の鴎はなにを歌ふぞ。
商人よ
ふたたび椰子の葉の茂る港にかへり
君のあたらしい綿と瑪瑙を積みかへせ
亞細亞のふしぎなる港々にさまよひ來り
青空高くひるがへる商業の旗の上に
ああかのさびしげなる幽靈船のうかぶをみる。
商人よ! 君は冒險にして自由の人
君は白い雲のやうに、この解きがたくふしぎなる愁ひをしる。
商業
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