に近い湯滝の音やが、何とも言へぬ春らしい感じを起させる。浴室の硝子障子を通して新緑の山を見てゐると、どこかで鶯が鳴いて居る。さうした「静かな華やかさ」を味ふには、伊香保へ春くるに限る。この頃伊香保へきて感じを悪くするやうなことは決してない。
伊香保の浴客にとつて、日課的の散歩道となつてゐるのは、崖に沿うて湯元へ通ふ十数町の道であるが、その途中に橋があつて、そこから榛名へ登ることができる。この橋のあるあたりの小高い崖の上に、湯元ホテルとかいふ木造のホテル兼レストランがある。別に何の奇もない平凡な木造建築であつて、ホテルと言つてもごく簡便な物であるが、それがどことなく西洋の野菜料理店といつた感じがする。それに好い加減古びてゐるのと場所柄とで、何となく物寂びた雅致を帯びて、静かな廃屋といつたやうな情趣がある。朝夕の散歩のかへり道に、このホテルの静かな食堂へ入つて、大層冥想的な紅茶を飲むのは、温泉場の物侘しい生活にふさはしいことである。
榛名へはかつて一度登つたことがある。湖畔亭のあたり、真青な湖水の上に、白鳥のやうな白いボートが浮んで居たのを夢のやうにおぼえてゐる。併し山として、榛名は特
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