要である。全体に伊香保の人は、自然の美を人工によつて開発する[#「開発する」に丸傍点]ことを知らない。さういふ所はよほど田舎じみて居る。
伊香保のいちばんいい季節は、晩春四五月から、初夏の六七月へかけた時期である。真夏の伊香保は、自然としても初夏のそれに劣るが、何しろ悪いことは、文字の通りの意味で雑鬧混雑を極めることである。夏伊香保へ行つた人は、たいてい宿屋のことから気分を害し、順つて伊香保全体を悪く見てしまふ。夏の伊香保は自分たちの行く所ぢやない。温泉場の気分は「静かな華やかさ」にあつて「賑やかな騒々しさ」にないのだから。とはいへ秋の伊香保もまた感心しない。自然は相当に美しいが、何分近在の百姓が大勢詰めかけるので、伊香保そのものの空気が、まるで田舎の温泉場に変つてしまふ。その頃の伊香保は、何となく感じが黒ずんで陽快な所がない。
だから伊香保は、どうしても春でなければいけない。尤も春といつても、山の春は遅いから、伊香保で春といへば五月か六月であらう。その頃の伊香保はほんとに好い。一体、伊香保に限らず、温泉町の春の夜は別である。裏町の溝を流れる湯の匂ひや、朧ろにかすむ紅色の軒灯や、枕
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