くて心内の節奏と言葉の節奏とは一致する[#「かくて心内の節奏と言葉の節奏とは一致する」に丸傍点]。内部の韻律と外部の韻律とが符節する[#「内部の韻律と外部の韻律とが符節する」に丸傍点]。之れ實に自由詩の本領である。
かく自由詩は、表現としての最高級のものである。そのリズムは、より單純な拍子本位から、より複雜な旋律本位へ進歩した。之れ既に驚くべき發展である。(尤も之れに就いては一方の側からの非難がある。それに就いては後に自由詩の價値を論ずる場合に述べよう。とにかく自由詩が、そのすべての缺點を置いても、より[#「より」に傍点]進歩した詩形であるといふことだけは否定できない。)それにも關はらず、通俗の見解は自由詩を甚だ見くびつて居る。甚だしきは、自由詩にリズムがないといふ人さへある。然り、自由詩には形體上のリズムがない。七五調や平仄律や――即ち通俗に言ふ意味でのリズム――は自由詩にない。しかも自由詩にはより複雜な、よりデリケートのリズムがある。それ自らが詩人の「心内の節奏」を節づけする所の「旋律としてのリズム」がある。人人は自由詩を以て、安易な自然的なもの、原始的なものと誤解して居る。事實
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