とが想像される――を以て唱歌された[#「唱歌された」に丸傍点]。この時代に於て、詩人は同時に音樂家であり、音樂家は同時に詩人であつた。然るにその後、言葉の概念の發育により、次第に詩と音樂とは分離してきた。歌詞の作者と曲譜の作者とは、後世に於て全く同人でない。かくて詩は全然音樂の旋律から獨立してしまつた。ただしかし拍節だけが殘された。なぜならば拍節は、旋律に比して一層線の太いリズムであり、實に韻律の骨格とも言ふべきものであるから。そして詩が、本來音樂と同じ情想の上に表現されるものである限り、この一つの骨格だけは失ふことができないから。
かくして最近に至るまで、詩の表現はこの骨格――言葉の拍節――の上に形式づけられた。所謂「韻律」「韻文」の觀念が之によつて構成されたのである。然るに我我の進歩した詩壇は、更にこの骨格の上に肉づけすべく要求した。骨格だけでは未だ單調で生硬である。我我の文明的な神經は、更に之れを包む豐麗な肉體と、微妙で複雜な影をもつた柔らかい線とを欲求した。言ひ換へれば、我我は「肉づけのある拍節」をさがしたのである。「肉づけのある拍節」それは即ち「旋律」ではないか。かくして一
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