は作者のリズムがよく現れてる」「彼のリズムには純眞性がある」「この藝術は私のリズムと共鳴する」此等の場合に於ける「作者のリズム」「彼のリズム」「私のリズム」は何を意味するか。從來の詩學の見地よりすれば、かかる用語に於けるリズムの意味は、全然奇怪にして不可解と言ふの外はない。けだしこの場合に言ふリズムは、全く別趣な觀念に屬してゐる。それは藝術の表現に現はれた樣式の節奏を指すのでない。さうでなく、よつて以てそれが表現の節奏を生むであらう所の、我我自身の心の中に内在する節奏《リズム》、即ち自由詩人の所謂「|心内の節奏《インナアリズム》」「|内部の韻律《インナアリズム》」を指すのである。さらばこの「心内の節奏」即ち内在韻律《インナアリズム》とは何であるか。之れ實に自由詩の哲學[#「自由詩の哲學」に丸傍点]である。今や我等は、自由詩の根本問題に觸れねばならぬ。
 原始《はじめ》、自然民族に於て、歌《うた》は同時に唄《うた》であり、詩と音樂とは同一の言葉で同一の觀念に表象された。彼等が詩を思ふとき、その言葉は自然に音樂の拍節と一致し、自然に音樂の旋律――勿論それは單調で抑揚のすくないものであつたこ
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