我我の子供は、我我の中での原始人である。彼等の生活はすベて本然と自然とにしたがつて居る。されば子供たちは如何に歌ふか。彼等の無邪氣な即興詩をみよ。子供等の詩的發想は、常に必ず一定の拍節正しき韻律の形式で歌はれる。自然の状態に於て[#「自然の状態に於て」に丸傍点]、子供等の作る詩に自由詩はない[#「子供等の作る詩に自由詩はない」に丸傍点]。
そもそも如何にして韻律《リズム》がこの世に生れたか。何故に詩が、韻律《リズム》と密接不離の關係にあるか。何故に我等が――特に我等の子供たちが――韻律《リズム》の心像を離れて詩を考へ得ないか。すべて此等の理窟はどうでも好い。ただ我等の知る限り、此所に示されたる事實は前述の如き者である。詩の發想は[#「詩の發想は」に丸傍点]、本然的に音樂の拍節と一致する[#「本然的に音樂の拍節と一致する」に丸傍点]。そして恐らく、そこに人間の美的本能の唯一な傾向が語られてあるだらう。宇宙の眞理はかうである。「原始《はじめ》に韻律があり後に言葉がある。」この故に、韻律を離れて詩があり得ない。自由詩とは何ぞや、無韻詩とは何ぞや、不定形律の詩とは何ぞや。韻律の定まれる拍節
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