あらう。その笛の音こそは「艶めかしき形而上學」である。その笛の音こそはプラトオのエロス――靈魂の實在にあこがれる羽ばたき――である。そしてげにそれのみが私の所謂「音樂」である。「詩は何よりもまづ音樂でなければならない」といふ、その象徴詩派の信條たる音樂である。

      ※[#蛇の目、1−3−27]

 感覺的鬱憂性! それもまた私の遠い氣質に屬してゐる。それは春光の下に群生する櫻のやうに、或いはまた菊の酢えたる匂ひのやうに、よにも鬱陶しくわびしさの限りである。かくて私の生活は官能的にも頽廢の薄暮をかなしむであらう。げに憂鬱なる、憂鬱なるそれはまた私の敍情詩の主題《てま》である。
 とはいへ私の最近の生活は、さうした感覺的のものであるよりはむしろより多く思索的の鬱憂性に傾いてゐる。(たとへば集中「意志と無明」の篇中に收められた詩篇の如きこの傾向に屬してゐる。これらの詩に見る宿命論的な暗鬱性は、全く思索生活の情緒に映じた殘像である。)かく私の詩の或るものは、おほむね感覺的鬱憂性に屬し、他の或るものは思索的鬱憂性に屬してゐる。しかしその何れにせよ、私の眞に傳へんとするリズムはそれでない
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