愁である。遠い遠い實在への涙ぐましいあこがれである。
およそいつの時、いつの頃よりしてそれが來れるかを知らない。まだ幼《いと》けなき少年の頃よりして、この故しらぬ靈魂の郷愁になやまされた。夜床はしろじろとした涙にぬれ、明くれば鷄《にはとり》の聲に感傷のはらわたをかきむしられた。日頃はあてもなく異性を戀して春の野末を馳せめぐり、ひとり樹木の幹に抱きついて「戀を戀する人」の愁をうたつた。
げにこの一つの情緒は、私の遠い氣質に屬してゐる。そは少年の昔よりして、今も猶私の夜床の枕におとづれ、なまめかしくも涙ぐましき横笛の音色をひびかす、いみじき横笛の音にもつれ吹き、なにともしれぬ哀愁の思ひにそそられて書くのである。
かくて私は詩をつくる。燈火の周圍にむらがる蛾のやうに、ある花やかにしてふしぎなる情緒の幻像にあざむかれ、そが見えざる實在の本質に觸れようとして、むなしくかすてら[#「かすてら」に傍点]の脆い翼《つばさ》をばたばたさせる。私はあはれな空想兒、かなしい蛾蟲の運命である。
されば私の詩を讀む人は、ひとへに私の言葉のかげに、この哀切かぎりなきえれぢい[#「えれぢい」に傍点]を聽くで
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