宿命
萩原朔太郎
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(例)青猫の像《かたち》
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(例)人人は尚|健氣《けなげ》に
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散文詩について
序に代へて
散文詩とは何だらうか。西洋近代に於けるその文學の創見者は、普通にボードレエルだと言はれてゐるが、彼によれば、一定の韻律法則を無視し、自由の散文形式で書きながら、しかも全體に音樂的節奏が高く、且つ藝術美の香氣が高い文章を、散文詩と言ふことになるのである。そこでこの觀念からすると、今日我が國で普通に自由詩と呼んでる文學中での、特に秀れてやや上乘のもの――不出來のものは純粹の散文で、節奏もなければ藝術美もない――は、西洋詩家の所謂散文詩に該當するわけである。しかし普通に散文詩と呼んでるものは、さうした文學の形態以外に、どこか文學の内容上でも、普通の詩と異なる點があるやうに思はれる。ツルゲネフの散文詩でも、ボードレエルのそれでも、すべて散文詩と呼ばれるものは、一般に他の純正詩(抒情詩など)に比較して、内容上に觀念的、思想的の要素が多く、イマヂスチツクであるよりは、むしろエツセイ的、哲學的の特色を多量に持つてる如く思はれる。そこでこの點の特色から、他の抒情詩等に比較して、散文詩を思想詩、またはエツセイ詩と呼ぶこともできると思ふ。つまり日本の古文學中で、枕草子とか方丈記とか、または徒然草とかいつた類のものが、丁度西洋詩學の散文詩に當るわけなのである。
枕草子や方丈記は、無韻律の散文形式で書いてゐながら、文章それ自身が本質的にポエトリイで、優に節奏の高い律的の調べと、香氣の強い藝術美を具備して居り、しかも内容がエツセイ風で、作者の思想する自然觀や人生觀を獨創的にフイロソヒイしたものであるから、正にツルゲネフやボードレエルの散文詩と、文學の本質に於て一致してゐる。ただ日本では、昔から散文詩といふ言葉がないので、この種の文學を隨筆、もしくは美文といふ名で呼稱して來た。然るに明治以來近時になつて、日本の散文詩とも言ふべき、この種の傳統文學が中絶してしまつた。もちろん隨筆といふ名で呼ばれる文學は、今日も尚文壇の一隅にあるけれども、それは詩文としての節奏や藝術美を失つたもので、散文詩といふ觀念中には、到底所屬でき得ないものである。
自分は詩人としての出發以來、一方で抒情詩を書くかたはら、一方でエツセイ風の思想詩やアフオリズムを書きつづけて來た。それらの斷章中には、西洋詩家の所謂「散文詩」といふ名稱に、多少よく該當するものがないでもない。よつて此所に「散文詩集」と名づけ、過去に書いたものの中から、類種の者のみを集めて一冊に編纂した。その集篇中の大分のものは、舊刊「新しき欲情」「虚妄の正義」「絶望の逃走」等から選んだけれども、篇尾に納めた若干のものは、比較的最近の作に屬し、單行本としては最初に發表するものである。尚、後半に合編した抒情詩は、「氷島」「青猫」その他の既刊詩集から選出したものである。
昭和十四年八月 著者
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散文詩
宇宙は意志の表現であり、
意志の本質は惱みである。
シヨペンハウエル
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ああ固い氷を破つて
ああ固い氷を破つて突進する、一つの寂しい帆船よ。あの高い空にひるがへる、浪浪の固體した印象から、その隔離した地方の物侘しい冬の光線から、あはれに煤ぼけて見える小さな黒い獵鯨船よ。孤獨な環境の海に漂泊する船の羅針が、一つの鋭どい意志の尖角[#「意志の尖角」に傍点◎]が、ああ如何に固い冬の氷を突き破つて驀進することよ。
婦人と雨
しとしとと降る雨の中を、かすかに匂つてゐる菜種のやうで、げにやさしくも濃やかな情緒がそこにある。ああ婦人! 婦人の側らに坐つてゐるとき、私の思惟は濕ひにぬれ、胸はなまめかしい香水の匂ひにひたる。げに婦人は生活の窓にふる雨のやうなものだ。そこに窓の硝子を距てて雨景をみる。けぶれる柳の情緒ある世界をみる。ああ婦人は空にふる雨の點點、しめやかな音樂のめろぢい[#「めろぢい」に傍点]のやうなものだ。我らをしていつも婦人に聽き惚らしめよ。かれらの實體[#「實體」に傍点◎]に近よることなく、かれらの床しき匂ひとめろぢい[#「めろぢい」に傍点]に就いてのみ、いつも蜜のやうな情熱の思慕をよさしめよ。ああこの濕ひのある雨氣の中で、婦人らの濃やかな吐息をかんず。婦人は雨のやうなものだ。
芝生の上で
若草の芽が萌えるやうに、この日當りのよい芝生の上では、思想が後から後からと成長してくる。けれどもそれらの思想は、私にまで何の交渉があらうぞ。私はただ青空を眺めて居たい。あの蒼天の夢の中に溶けてしまふやうな、さういふ思想の幻想だけを育くみたいのだ。私自身の情緒の影で、なつかしい緑陰の夢をつくるやうな、それらの「情調ある思想」だけを語りたいのだ。空飛ぶ小鳥よ。
舌のない眞理
とある幻燈の中で、青白い雪の降りつもつてゐる、しづかなしづかな景色の中で、私は一つの眞理をつかんだ。物言ふことのできない、永遠に永遠にうら悲しげな、私は「舌のない眞理」を感じた。景色の、幻燈の、雪のつもる影を過ぎ去つて行く、さびしい青猫の像《かたち》をかんじた。
慈悲
風琴の鎭魂樂《れくれえむ》をきくやうに、冥想の厚い壁の影で、靜かに湧きあがつてくる黒い感情。情慾の強い惱みを抑へ、果敢ない運命への叛逆や、何といふこともない生活の暗愁や、いらいらした心の焦燥やを忘れさせ、安らかな安らかな寢臺の上で、靈魂の深みある眠りをさそふやうな、一つの力ある靜かな感情。それは生活の疲れた薄暮に、響板の鈍いうなりをたてる、大きな幅のある靜かな感情。――佛陀の教へた慈悲の哲學!
秋晴
牧場の牛が草を食つてゐるのをみて、閑散や怠惰の趣味を解しないほど、それほど近代的になつてしまつた[#「近代的になつてしまつた」に傍点◎]人人にまで、私はいかなる會話をもさけるであらう。私の肌にしみ込んでくる、この秋日和の物倦い眠たさに就いて、この古風なる私の思想の情調に就いて、この上もはや語らないであらう。
浪と無明
無明は浪のやうなものだ。生活の物寂しい海の面で、寄せてはくだけくだけてはまたうち寄せ來る。ああまた引き去り高まり來る情慾の浪、意志の浪、邪念の浪。何といふこともない暗愁の浪、浪、浪、浪、浪。げにこの寂しい眺望こそは、曇天の暗い海の面で、いつも憂鬱に單調な響を繰りかへす。されば此所の海邊を過ぎて、かの遠く行く砂丘の足跡を踏み行かうよ。佛陀の寂しい時計に映る、自然の、海洋の、永遠の時間を思惟しようよ。いま暮色ある海の面に、寄せてはくだけ、くだけてはまた寄せ來る、無明のほの白い浪を眺める。もの皆悲しく、憂ひにくづるる濱邊の心ら。
陸橋を渡る
憂鬱に沈みながら、ひとり寂しく陸橋を渡つて行く。かつて何物にさへ妥協せざる、何物にさへ安易せざる、この一つの感情をどこへ行かうか。落日は地平に低く、環境は怒りに燃えてる。一切を憎惡し、粉碎し、叛逆し、嘲笑し、斬奸し、敵愾する、この一個の黒い影をマントにつつんで、ひとり寂しく陸橋を渡つて行く。かの高い架空の橋を越えて、はるかの幻燈の市街にまで。
恐怖への豫感
曠野に彷徨する狼のやうに、一つの鋭どい瞳孔と、一つの飢ゑた心臟とで、地上のあらゆる幻影に噛みつかうとする、あるひと[#「あるひと」に傍点◎]の怒りに燃えついた情慾。牙をむき出した感情にまで注意せよ。自然の慘憺たる空の下では。
涙ぐましい夕暮
これらの夕暮は涙ぐましく、私の書齋に訪れてくる。思想は情調の影にぬれて、感じのよい温雅の色合を帶びて見える。ああいかに今の私にまで、一つの惠まれた徳はないか。何物の卑劣にすら、何物の虚僞にすら、あへて高貴の寛容を示し得るやうな、一つの穩やかにして閑雅なる徳はないか。――私をして獨り寂しく、今日の夕暮の空に默思せしめよ。
地球を跳躍して
たしかに私は、ある一つの特異な才能を持つてゐる。けれどもそれが丁度あてはまる[#「あてはまる」に傍点◎]やうな、どんな特別な「仕事」も今日の地球の上に有りはしない。むしろ私をして、地球を遠く圈外に跳躍せしめよ。
宿醉の朝に
泥醉の翌朝に於けるしらじらしい悔恨は、病んで舌をたれた犬のやうで、魂の最も痛痛しいところに噛みついてくる。夜に於ての恥かしいこと、醜態を極めたこと、みさげはてたること、野卑と愚劣との外の何物でもないやうな記憶の再現は、砒毒のやうな激烈さで骨の髓まで紫色に變色する。げに宿醉の朝に於ては、どんな酒にも嘔吐を催すばかりである。ふたたびもはや、我等は酒場を訪はないであらう。我等の生涯に於て、あれらの忌忌しい悔恨を繰返さないやうに、斷じて私自身を警戒するであらう。と彼等は腹立たしく決心する。けれどもその日の夕刻がきて、薄暮のわびしい光線がちらばふ頃には、ある故しらぬ孤獨の寂しさが、彼等を場末の巷に徘徊させ、また新しい別の酒場の中に、醉つた幸福を眺めさせる。思へ、そこでの電燈がどんなに明るく、そこでの世界がどんなに輝やいて見えることぞ。そこでこそ彼は眞に生甲斐のある、ただそればかりが眞理であるところの、唯一の新しい生活を知つたと感ずるであらう。しかもまたその翌朝に於ての悔恨が、いかに苦苦しく腹立たしいものであるかを忘れて。げにかくの如きは、あの幸福な[#「幸福な」に傍点◎]飲んだくれの生活ではない[#「ない」に傍点◎]。それこそは我等「詩人」の不幸な[#「不幸な」に傍点◎]生活である。ああ泥醉と悔恨と、悔恨と泥醉と。いかに惱ましき人生の雨景を蹌踉することよ。
夜汽車の窓で
夜汽車の中で、電燈は暗く、沈鬱した空氣の中で、人人は深い眠りに落ちてゐる。一人起きて窓をひらけば、夜風はつめたく肌にふれ、闇夜の暗黒な野原を飛ぶ、しきりに飛ぶ火蟲をみる。ああこの眞つ暗な恐ろしい景色を貫通する! 深夜の轟轟といふ響の中で、いづこへ、いづこへ、私の夜汽車は行かうとするのか。
荒寥たる地方での會話
「くづれた廢墟の廊柱と、そして一望の禿山の外、ここには何も見るべきものがない。この荒寥たる地方の景趣には耐へがたい。」「さらば早くここを立ち去らう。この寒空は健康に良ろしくない。」「まて! 沒風流の男よ。君はこの情趣を解さないか、この廢墟を吹きわたる蕭條たる風の音を。舊き景物はすべて頽れ、新しき市街は未だ興されない。いつさいの信仰は廢つて、瘴煙は地に低く立ち迷つてゐる。ああここでの情景は、すべて私の心を傷ましめる。そしてそれ故に[#「それ故に」に傍点◎]、げに私はこの情景を立ち去るにしのびない。」
パノラマ館にて
あふげば高い蒼空があり、遠く地平に穹窿は連なつてゐる。見渡す限りの平野のかなた、仄かに遠い山脈の雪が光つて、地平に低く夢のやうな雲が浮んでゐる。ああこの自然をながれゆく靜かな情緒をかんず。遠く眺望の消えて盡きるところは雲か山か。私の幻想は涙ぐましく、遙かな遙かな風景の涯を追うて夢にさまよふ。
聽け、あの悲しげなオルゴルはどこに起るか。忘れた世紀の夢をよび起す、あの古めかしい音樂の音色はどこに。さびしく、かなしく、物あはれに。ああマルセーユ、マルセーユ、マルセーユ……。どこにまた遠く、遠方からの喇叭のやうに、錆ある朗らかのベースは鳴りわたる。げにかの物倦げなベースは夢を語る。
「ああ、ああ、歴史は忘れゆく夢のごとし。時は西暦千八百十五年。所はワータルローの平原。あちらに遠く見える一葦の水はマース河。こなた一圓の人家は佛蘭西の村落にございます。史をひもとけば六月十八日。佛蘭西の皇帝ナポレオン一世は、この所に
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