て英普聯合軍と最後の決戰をいたされました。こなた一帶は佛蘭西軍の砲兵陣地、あれなる小高き丘に立てる馬上の人は、これぞ即ち蓋世の英雄ナポレオン・ボナパルト。その側に立てるはネー將軍、ナポレオン麾下の名將にして、鬼と呼ばれた人でございます。あれなる平野の大軍は英將ウエリントンの一隊。こちらの麥畑に累累と倒れて居ますのは、皆之れ佛蘭西兵の死骸でございます。無慘やあまたの砲車は敵彈に撃ち碎かれ、鮮血あたりの草を染めるありさま。ああ悲風蕭蕭たるかなワータルロー。さすが千古の英雄ナポレオン一世も、この戰ひの敗軍によりまして、遠くセントヘレナの孤島に幽囚の身となりました。こちらをご覽なさい。三角帽に白十字の襷をかけ、あれなる間道を突撃する一隊はナポレオンの近衞兵。その側面を射撃せるはイギリスの遊撃隊でございます。あなたに遙か遠く山脈の連なるところ、煙の如く砂塵を蹴立てて來る軍馬の一隊は、これぞ即ち普魯西の援軍にして、ブリツヘル將軍の率ゐるものでございます。時は西暦一八一五年、所は佛蘭西の國境ワータルロー。――ああ、ああ、歴史は忘れゆく夢のごとし」
 明るい日光の野景の涯を、わびしい砲煙の白くただよふ。靜かな白日の夢の中で、幻聽の砲聲は空に轟ろく。いづこぞ、いづこぞ、かなしいオルゴルの音の地下にきこゆる。あはれこの古びたパノラマ館! 幼ない日の遠き追憶のパノラマ館! かしこに時劫の昔はただよひゐる。ああかの暗い隧路の向うに、天幕《てんと》の青い幕の影に、いつもさびしい光線のただよひゐる。


 喘ぐ馬を驅る

 日曜の朝、毛竝の艶艶とした二頭の駿馬を驅つて、輕洒な馬車を郊外の竝木路に走らせる。といつたのとは、全然反對の風景がそこにありはしないか。曇天の重い空の下で、行き惱んだ運搬車。馭者はしきりにあせるけれども、駄馬が少しも動かないといつたやうな、さういふ息苦しい景色がありはしないか。いかに思想家よ。すつかりと荷造りされたる思想の前に、言葉が逡巡して進まないといふやうな、我等の鬱陶しき日和の多いことよ。


 春のくる時

 扇もつ若い娘ら、春の屏風の前に居て、君のしなやかな肩をすべらせ、艶めかしい曲線は足にからむ。扇もつ若い娘ら、君の笑顏に情をふくめよ、春は來らんとす。


 AULD LANG SYNE!

 波止場に於て、今や出帆しようとする船の上から、彼の合圖をする人に注意せよ。きけ、どんな悦ばしい告別が、どんな氣の利いた挨拶《あいさつ》が、彼の見送りの人人にまで語られるか。今や一つの精神は、海を越えて軟風の沖へ出帆する。されば健在であれ、親しき、懷かしき、また敵意ある、敵意なき、正に私から忘られようとしてゐる[#「忘られようとしてゐる」に傍点◎]知己の人人よ。私は遠く行き、もはや君らと何の煩はしい交渉もないであらう。そして君らはまた、正に君らの陸地から立去らうとする帆影にまで、あのほつとした氣輕さの平和――すべての見送人が感じ得るところの、あの氣の輕輕とした幸福――を感ずるであらう。もはやそこには、何の鬱陶しい天氣もなく、來るべき航海日和の、いかに晴晴として麗らかに知覺せらるることぞ。おお今、碇をあげよ水夫ども。おーるぼーと。……聽け! あの[#「あの」に傍点◎]音樂は起る。見送る人、見送られる人の感情にまで、さばかり涙ぐましい「忘却の悦び」を感じさせるところの、あの古風なるスコツトランドの旋律は! Should auld acquaintance be forgot, and  never brought to mind! Should auld acquaintance be forgot, and days of auld lang syne!


 木偶芝居

 あの怪人物が手にもつ一つの巨大な棒を見よ。それが高くふりあげられ、力を込めてまつすぐに打ちおろす時、あれらの家屋は破壞され、めちやくちや[#「めちやくちや」に傍点]になり、警官の如きもの、隊長の如きもの、ビア樽の如きもの、横倒しにされ、その遠心力でもつて舞臺の圈外へ吹つとばされる。そこで青白い音樂のリズムが起り、すばらしい巨きな月が舞臺の空へ昇つてくる。ぐんぐんぐんぐんと上の方へ、とめどもなく高く昇る。おおその時、その時、その破壞された家の下から、どんな一つの物悲しい言葉が聽えてくるか――一つの怪奇な木偶《にんぎやう》の靈魂は、かれの細長い舌を以てすら[#「舌を以てすら」に傍点◎]「幽冥に於ける思想」を語るであらう。喇叭を吹くやうなバスの調子で。


 極光地方から

 海豹《あざらし》のやうに、極光の見える氷の上で、ぼんやりと「自分を忘れて」坐つてゐたい。そこに時劫がすぎ去つて行く。晝夜のない極光地方の、いつも暮れ方のやうな光線が、鈍く悲しげに幽滅するところ。ああその遠い北極圈の氷の上で、ぼんやりと海豹のやうに坐つて居たい。永遠に、永遠に、自分を忘れて、思惟のほの暗い海に浮ぶ、一つの侘しい幻象を眺めて居たいのです。


 斷橋

 夜道を走る汽車まで、一つの赤い燈火を示せよ。今そこに危險がある。斷橋! 斷橋! ああ悲鳴は風をつんざく。だれがそれを知るか。精神は闇の曠野をひた走る。急行し、急行し、急行し、彼の悲劇の終驛へと。


 運命への忍辱

 とはいへ環境の闇を突破すべき、どんな力がそこにあるか。齒がみてこらへよ。こらへよ。こらへよ。


 寂寥の川邊

 古驛の、柳のある川の岸で、かれは何を釣らうとするのか。やがて生活の薄暮がくるまで、そんなにも長い間、針のない釣竿で……。「否」とその支那人が答へた。「魚の美しく走るを眺めよ、水の靜かに行くを眺めよ。いかに君はこの靜謐を好まないか。この風景の聰明な情趣を。むしろ私は、終日釣り得ない[#「釣り得ない」に傍点◎]ことを希望してゐる。されば日當り好い寂寥の岸邊に坐して、私のどんな環境をも亂すなかれ。」


 船室から

 嵐、嵐、浪、浪、大浪、大浪、大浪。傾むく地平線、上昇する地平線、落ちくる地平線。がちやがちや、がちやがちや。上甲板へ、上甲板へ。鎖《チエン》を卷け、鎖《チエン》を卷け。突進する、突進する水夫ら。船室の窓、窓、窓、窓。傾むく地平線、上昇する地平線。鎖《チエン》、鎖《チエン》、鎖《チエン》。風、風、風。水、水、水。船窓《ハツチ》を閉めろ。船窓《ハツチ》を閉めろ。右舷へ、左舷へ。浪、浪、浪。ほひゆーる。ほひゆーる。ほひゆーる。


 田舍の時計

 田舍に於ては、すべての人人が先祖と共に生活してゐる。老人も、若者も、家婦も、子供も、すべての家族が同じ藁屋根の下に居て、祖先の煤黒い位牌を飾つた、古びた佛壇の前で臥起してゐる。
 さうした農家の裏山には、小高い冬枯れの墓丘があつて、彼等の家族の長い歴史が、あまたの白骨と共に眠つてゐる。やがて生きてゐる家族たちも、またその同じ墓地に葬られ、昔の曾祖母や祖父と共に、しづかな單調な夢を見るであらう。
 田舍に於ては、郷黨のすべてが縁者であり、系圖の由緒ある血をひいてゐる。道に逢ふ人も、田畑に見る人も、隣家に住む老人夫妻も、遠きまたは近き血統で、互にすべての村人が縁邊する親戚であり、昔からつながる叔父や伯母の一族である。そこではだれもが家族であつて、歴史の古き、傳統する、因襲のつながる「家」の中で、郷黨のあらゆる男女が、祖先の幽靈と共に生活してゐる。
 田舍に於ては、すべての家家の時計が動いてゐない。そこでは古びた柱時計が、遠い過去の暦の中で、先祖の幽靈が生きてゐた時の、同じ昔の指盤を指してゐる。見よ! そこには昔のままの村社があり、昔のままの白壁があり、昔のままの自然がある。そして遠い曾祖母の過去に於て、かれらの先祖が縁組をした如く、今も同じやうな縁組があり、のどかな村落の籬《まがき》の中では、昔のやうに、牛や鷄の聲がしてゐる。
 げに田舍に於ては、自然と共に悠悠として實在してゐる、ただ一の永遠な「時間」がある。そこには過去もなく、現在もなく、未來もない。あらゆるすべての生命が、同じ家族の血すぢであつて、冬のさびしい墓地の丘で、かれらの不滅の先祖と共に[#「先祖と共に」に傍点◎]、一つの靈魂と共に[#「靈魂と共に」に傍点◎]生活してゐる。晝も、夜も、昔も、今も、その同じ農夫の生活が、無限に單調につづいてゐる。そこの環境には變化がない。すべての先祖のあつたやうに、先祖の持つた農具をもち、先祖の耕した仕方でもつて、不變に同じく、同じ時間を續けて行く。變化することは破滅であり、田舍の生活の沒落である。なぜならば時間が斷絶して、永遠に生きる實在から、それの鎖が切れてしまふ。彼等は先祖のそばに居り、必死に土地を離れることを欲しない。なぜならば土地を離れて、家郷とすべき住家はないから。そこには擴がりもなく、觸りもなく、無限に實在してゐる空間がある。
 荒寥とした自然の中で、田舍の人生は孤立してゐる。婚姻も、出産も、葬式も、すべてが部落の壁の中で、仕切られた時空の中で行はれてゐる。村落は悲しげに寄り合ひ、蕭條たる山の麓で、人間の孤獨にふるへてゐる。そして眞暗な夜の空で、もろこしの葉がざわざわと風に鳴る時、農家の薄暗い背戸の厩に、かすかに蝋燭の光がもれてゐる。馬もまた、そこの暗闇にうづくまつて、先祖と共に[#「先祖と共に」に傍点◎]眠つてゐるのだ。永遠に、永遠に、過去の遠い昔から居た如くに。


 球轉がし

 曇つた、陰鬱の午後であつた。どんよりとした太陽が、雲の厚みからさして、鈍い光を街路の砂に照らしてゐる。人人の氣分は重苦しく、うなだれながら、馬のやうに風景の中を彷徨してゐる。
 いま、何物の力も私の中に生れてゐない。意氣は銷沈し、情熱は涸れ、汗のやうな惡寒がきびわるく皮膚の上に流れてゐる。私は壓しつぶされ、稀薄になり、地下の底に滅入つてしまふのを感じてゐた。
 ふと、ある賑やかな市街の裏通り、露店や飲食店のごてごてと竝んでゐる、日影のまづしい横町で、私は古風な球轉がしの屋臺を見つけた。
「よし! 私の力を試してみよう。」
 つまらない賭けごとが、病氣のやうにからまつてきて、執拗に自分の心を苛らだたせた。幾度も幾度も、赤と白との球が轉がり、そして意地惡く穴の周圍をめぐつて逃げた。あらゆる機因《チヤンス》がからかひながら、私の意志の屆かぬ彼岸で、熱望のそれた標的に轉がり込んだ。
「何物もない! 何物もない!」
 私は齒を食ひしばつて絶叫した。いかなればかくも我我は無力であるか。見よ! 意志は完全に否定されてる[#「意志は完全に否定されてる」に傍点◎]。それが感じられるほど、人生を勇氣する理由がどこにあるか?
 たちまち、若若しく明るい聲が耳に聽えた。蓮葉な、はしやいだ、連れ立つた若い女たちが來たのである。笑ひながら戲れながら、無造作に彼女の一人が球を投げた。
「當り!」
 一時に騷がしく、若い、にぎやかな凱歌と笑聲が入り亂れた。何たる名譽ぞ! チヤンピオンぞ! 見事に、彼女は我我の絶望に打ち勝つた。笑ひながら、戲れながら、嬉嬉として運命を征服し、すべての鬱陶しい氣分を開放した。
 もはや私は、ふたたび考へこむことをしないであらう。


 鯉幟を見て

 青空に高く、五月の幟が吹き流れてゐる。家家の屋根の上に、海や陸や畑を越えて、初夏の日光に輝きながら、朱金の勇ましい魚が泳いでゐる。
 見よ! そこに子供の未來が祝福されてる。空高く登る榮達と、名譽と、勇氣と、健康と、天才と。とりわけ權力ヘのエゴイズムの野心が象徴されてる。ふしぎな、欲望にみちた五月の魚よ!
 しかしながら意志が、風のない深夜の屋根で失喪してゐる。だらしなく尾をたらして、グロテスクの魚が死にかかつてゐる。丁度、あはれな子供等の寢床の上で、彼の氣味の惡い未來がぶらさがり、重苦しく沈默してゐる。どうして親たちが、早く子供の夢魔を醒してやらないのか? たよりない小さい心が、恐ろしい夢の豫感におびえてゐる。やがて近づくであらう所の、彼の殘酷な教育から、防ぎたい疾病から、性の痛痛しい苦悶から。とりわけ社會
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