ムに、微笑をもらしてゐることだらう。だがその神神もまた、さうした貧しい純良な人と共に、都會の裏街の露路の隅や、田舍の忘られた藪陰などで、侘しくしよんぼり[#「しよんぼり」に傍点]と暮して居るのだ。常に至る所に、人間の生活があるところには、それと同じやうな階級に屬するところの、樣樣の神神の生活がある。そしてその神神の祠《ほこら》は、それに祈願をかける人人の、欲望の大小に比例してゐる。ほんの僅かばかりの、愼《つつ》ましい祈願をかける人人の神神は、同じやうに愼《つつ》ましく、小さな些《ささ》やかな祠《ほこら》で出來てる。人生の薄暮をさ迷ひ歩いて、物靜かな日陰の小路に、さうした侘しい神神の祠を見る時ほど、人間生活のいぢらしさ、悲しさ、果敢なさ、生の苦しさを、侘しく沁沁と思はせることはないのである。
郵便局 ボードレエルの散文詩「港」に對應する爲、私はこの一篇を作つた。だが私は、その世界的に有名な詩人の傑作詩と、價値を張り合はうといふわけではない。
海 海の憂鬱さは、無限に單調に繰返される浪の波動の、目的性のない律動運動を見ることにある。おそらくそれは何億萬年の昔から、地球の劫初と共
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