、何時《いつ》、何所《どこ》で、果して何事をするのだらう。地球を越えて、惑星の世界にでも行かなかつたら!
田舍の時計 田舍の憂鬱は、無限の單調といふことである。或る露西亞の作家は、農夫の生活を蟻に譬へた。單に勤勉だといふ意味ではない。數千年、もしくは數萬年もの長い間、彼等の先祖が暮したやうに、その子孫もその子孫も、そのまた孫の子孫たちも、永遠に同じ生活を反覆してるといふことなのである。――田舍に於ては、すべての家家の時計が動いて居ない。
球轉がし 人生のことは、すべて「機因《チヤンス》」が決定する。ところで機因《チヤンス》は、宇宙の因果律が構成するところの、複雜微妙極みなきプロバビリチイの數學から割り出される。機因《チヤンス》は「宿命」である。それは人間の意志の力で、どうすることもできない業《カルマ》なのだ。だがそれにもかかはらず、人人は尚「意志」を信じてゐる。意志の力と自由によつて、宇宙が自分に都合よく、プロバビリチイの骰子《さいころ》の目が、思ひ通りに出ることを信じてゐる。
「よし、私の力を試してみよう」と、壓しつけられた曇天の日に、悲觀の沈みきつたどん底からさへも、人
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