あつた。だがその「過失の記憶」さへも、やがて此所にある萬象と共に、虚無の墓の中に消え去るだらう。父よ。わが不幸を許せかし!

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たちまち遠景を汽車の走りて
我れの心境は動騷せり。
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 と歌つた二子山の附近には、移轉した中學校が新しく建ち、昔の侘しい面影もなく、景象が全く一新した。かつては蒲公英《たんぽぽ》の莖を噛みながら、ひとり物思ひに耽つて徘徊した野川の畔に、今も尚白い菫《すみれ》が咲くだらうか。そして古き日の娘たちが、今でも尚故郷の家に居るだらうか。

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われこの新道の交路に立てど
さびしき四方《よも》の地平をきはめず。
暗鬱なる日かな
天日《てんじつ》家竝の軒に低くして
林の雜木まばらに伐られたり。
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 と歌つた小出《こいで》の林は、その頃から既に伐採されて、楢や櫟の木が無慘に伐られ、白日の下に生生《なまなま》しい切株を見せて居たが、今では全く開拓されて、市外の遊園地に通ずる自動車の道路となつてる。昔は學校を嫌ひ、辨當を持つて家を出ながら、ひそかにこの林に來て、終日鳥の鳴聲を聞きながら
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