た。そして我ながら自分の思ひ付に感心した。こんなすばらしいことを、何故もつと早く考へつかなかつたらうと不思議に思つた。これさへやれば、どんな女でも造作なく、自分の自由に手なづけることができるのである。かつて何人も知らなかつた、これ程の大發明を、自分が獨創で考へたといふことほど、得意を感じさせることはなかつた。そこで私は、茫然としてゐる友人等の方をふり返つて、さも誇らしく、大得意になつて言つた。
「女の子を手なづけるにはね、君。この手に限るんだよ。この手にね。」
そこで夢から醒めた。そして自分のやつたことの馬鹿馬鹿しさを、あまりの可笑しさに吹き出してしまつた。だが「この手に限るよ。」と言つた自分の言葉が、いつ迄も耳に殘つて忘られなかつた。
「この手に限るよ。」
その夢の中の私の言葉が、今でも時時聞える時、私は可笑しさに轉がりながら、自分の中の何所かに住んでる、或る「馬鹿者《フール》」の正體を考へるのである。
臥床の中で
臥床《ふしど》の中で、私はひとり目を醒ました。夜明けに遠く、窓の鎧扉の隙間から、あるかなきかの侘しい光が、幽明のやうに影を映して居た。それは夜天の空に輝やいてる、無數の星屑が照らすところの、宇宙の常夜燈の明りであつた。
私は枕許の洋燈を消した。再度また眠らうと思つたのだ。だが醒めた時の瞬間から、意識のぜんまい[#「ぜんまい」に傍点]が動き出した。ああ今日も終日、時計のやうに休息なく、私は考へねばならないのだ。そして實に意味のない、愚にもつかないことばかりを、毎日考へねばならないのだ。私はただ眠つて居たい。牡蠣のやうに眠りたいのだ。
黎明の仄かな光が、かすかに部屋を明るくして來た。小鳥の唄が、どこかで早く聞え出した。朝だ。私はもう起きねばならぬ。そして今日もまた昨日のやうに、意味のない生活《らいふ》の惱みを、とり止めもない記録にとつて、書きつけておかねばならないのだ。さうして! ああそれが私の「仕事」であらうか。私の果敢ない「人生」だらうか。催眠藥とアルコールが、すべての惱みから解放して、私に一切を忘却させる。夜《よる》となつたら、私はまた酒場へ行かう。だが醉ふことの快樂ではなく、一切を忘れることの恩惠を、私は神に祈つて居るのだ。神よ。すべての忘却をめぐみ給へ。
朝が來た。汽笛が聞える。日が登り、夜が來る。そしてまた永遠に空洞《うつろ》の生活《らいふ》が……。ああ止めよ。止めよ。むしろ斷乎たる決意を取れ! 臥床《ふしど》の中で、私はまた呪文のやうに、いつもの習慣となつてる言葉を繰返した。
止めよ。止めよ。斷乎たる決意をとれ!
そもそもしかし、何が「斷乎たる決意」なのか。私はその言葉の意味することを、自分ではつきりと知りすぎて居る。知つてしかも恐れはばかり、日日にただ呪文の如く、朝の臥床の中で繰返してゐる。汝、卑怯者! 愚痴漢! 何故に屑《いさ》ぎよくその人生を清算し、汝を處決してしまはないのか。汝は何事をも爲し得ないのだ。そしてただ、汝の信じ得ない神の恩寵が、すべての人間に平等である如く、汝にもその普遍的な最後の恩寵――永遠の忘却――を、いつか與へ給ふ日を、待つて居るのだ。否否。汝はそれさへも恐れ戰のき、葦のやうに震へてゐるのだ。ああ汝、毛蟲にも似たる卑劣漢。
だがしかし、その時朝の侘しい光が、私の臥床の中にさし込み、やさしい搖籠のやうにゆすつてくれた。古い聖書の忘れた言葉が、私の心の或る片隅で、靜かに侘しい日陰をつくり、夢の記憶のやうに浮んで來た。
神はその一人子を愛するほどに、汝等をも愛し給ふ。
朝が來た。雀等は窓に鳴いてる。起きよ。起きよ。起きてまた昨日の如く、汝の今日の生活をせよ――。
物みなは歳日と共に亡び行く
わが故郷に歸れる日、ひそかに祕めて歌へるうた。
[#ここから2字下げ]
物《もの》みなは歳日《としひ》と共に亡び行く。
ひとり來てさまよへば
流れも速き廣瀬川。
何にせかれて止《とど》むべき
憂ひのみ永く殘りて
わが情熱の日も暮れ行けり。
[#ここで字下げ終わり]
久しぶりで故郷へ歸り、廣瀬川の河畔を逍遙しながら、私はさびしくこの詩を誦した。
物みなは歳日《としひ》と共に亡び行く――郷土望景詩に歌つたすべての古蹟が、殆んど皆跡方もなく廢滅して、再度《ふたたび》また若かつた日の記憶を、郷土に見ることができないので、心寂寞の情にさしぐんだのである。
全く何もかも變つてしまつた。昔ながらに變らぬものは、廣瀬川の白い流れと、利根川の速い川瀬と、昔、國定忠治が立て籠つた、赤城山とがあるばかりだ。
[#ここから2字下げ]
少年の日は物に感ぜしや
われは波宜《はぎ》亭の二階によりて
悲しき情感の思ひに沈めり
[#ここで字下げ終わり]
と歌つた波宜
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