、少年の愁ひを悲しんでゐた私であつた。今では自動車が荷物を載せて、私の過去の記憶の上を、勇ましくタンクのやうに驀進して行く。

[#ここから2字下げ]
兵士の行軍の後に捨てられ
破れたる軍靴《ぐんくわ》のごとくに
汝は路傍に渇けるかな。
天日《てんじつ》の下に口をあけ
汝の過去を哄笑せよ。
汝の歴史を捨て去れかし。
[#ここで字下げ終わり]
          ――昔の小出新道にて――

 利根川は昔ながら流れて居るが、雲雀の巣を拾つた河原の砂原は、原形もなく變つてしまつて、ただ一面の桑畑になつてしまつた。

[#ここから2字下げ]
此所に長き橋の架したるは
かのさびしき惣社の村より
直として前橋の町に通ずるらん。
[#ここで字下げ終わり]

 と歌つた大渡新橋も、また近年の水害で流失されてしまつた。ただ前橋監獄だけが、新たに刑務所と改名して、かつてあつた昔のやうに、長い煉瓦の塀をノスタルヂアに投影しながら、寒い上州の北風に震へて居た。だが

[#ここから2字下げ]
監獄裏の林に入れば
囀鳥高きにしば鳴けり
[#ここで字下げ終わり]

 と歌つた裏の林は、概ね皆伐採されて、囀鳥の聲を聞く由もなく、昔作つた詩の情趣を、再度イメーヂすることが出來なくなつた。

[#ここから2字下げ]
物みなは歳日《としひ》と共に亡び行く――。
ひとり來りてさまよへば
流れも速き廣瀬川
何にせかれて止《とど》むべき。
[#ここで字下げ終わり]
          ――廣瀬河畔を逍遙しつつ――
[#改ページ]


附録

散文詩自註
  前書

 詩の註釋といふことは、原則的に言へば蛇足にすぎない。なぜなら詩の本當の意味といふものは、言葉の音韻や表象以外に存在しない。そして此等のものは、感覺によつて直觀的に感受する外、説明の仕方がないからである。しかし或る種の詩には、特殊の必要からして、註解が求められる場合もある。たとへば我が萬葉集の歌の如き古典の詩歌。ダンテの神曲やニイチエのツアラトストラの如き思想詩には、古來幾多の註釋書が刊行されてる。この前者の場合は、古典の死語が今の讀者に解らない爲であり、この後の場合は、詩の内容してゐる深遠の哲學が、思想上の解説を要するからである。しかし原則的に言へば、此等の場合にもやはり註釋は蛇足である。なぜなら萬葉集の歌は、萬葉の歌言葉を離れて鑑賞することがで
前へ 次へ
全43ページ中30ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
萩原 朔太郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング