り[#「げつそり」に傍点]とし、ものうくなり、空虚なさびしい心を感じて、磯草の枯れる砂山の上にくづれてしまふ。
 人人は熱情から――戀や、旅情や、ローマンスから――しばしば海へあこがれてくる。いかにひろびろとした、自由な明るい印象が、人人の眼をひろくすることぞ! しかしながらただ一瞬。そして夕方の疲勞から、にはかに老衰してかへつて行く。
 海の巨大な平面が、かく人の觀念を正誤する。


 建築の Nostalgia

 建築――特に群團した建築――の樣式は、空の穹窿に對して構想されねばならぬ。即ち切斷されたる球の弧形に對して、槍状の垂直線や、圓錐形やの交錯せる構想を用意すべきである。
 この蒼空の下に於ける、遠方の都會の印象として、おほむねの建築は一つの重要な意匠を忘れてゐる。


 初夏の歌

 今は初夏! 人の認識の目を新しくせよ。我我もまた[#「我我もまた」に傍点◎]自然と共に青青しくならうとしてゐる。古きくすぼつた家を捨てて、渡り鳥の如く自由になれよ。我我の過去の因襲から、いはれなき人倫から、既に廢つてしまつた眞理から、社會の愚かな習俗から、すべての朽ちはてた執着の繩を切らうぢやないか。
 青春よ! 我我もまた鳥のやうに飛ばうと思ふ。けれども聽け! だれがそこに隱れてゐるのか? 戸の影に居て、啄木鳥《きつつき》のやうに叩くものはたれ? ああ君は「反響《こだま》」か。老いたる幽靈よ! 認識の向うに去れ!


 女のいぢらしさ

「女のいぢらしさは」とグウルモンが言つてる。「何時《いつ》、何處《どこ》で、どこから降つて來るかも知れないところの、見たことも聞いたこともない未來の良人を、貞淑に愼《つつ》ましく待つてることだ。」と。
 家の奥まつた部屋の中で、終日《ひねもす》雀の鳴聲を聽きながら、優しく、惱ましく、恥かしげに、思ひをこめて針仕事をして居る娘を見る時、私はいつもこの抒情味の深い、そして多分に加特力教的な詩人の言葉を思ひ起す。
 いぢらしくもまた、私の親しい友が作つた、日本語の美しい歌を一つ。

[#ここには室生犀星の詩が引用されている]

 若い未婚の娘たちは、情緒の空想でのみ生活して居る。丁度彼女等は、昔の草双紙に物語られてる、仇敵討ちの武士みたいなものである。その若く悲しい武士たちは、何時《いつ》、何處《どこ》で、如何にして※[#「えんにょう+囘」、
前へ 次へ
全43ページ中16ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
萩原 朔太郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング