けれども老人はなにも答へなかつた。そしてただ、意味ありげのさびしい微笑をみせた。
そのとき空には白い雲がながれてゐた。
人間はだれしも美しいものではない。人間の心臟には動物の血がまじつてゐる。時として人間は、動物よりももつと[#「もつと」に傍点]醜い、もつと[#「もつと」に傍点]邪惡な、もつと背徳的な慾望や思想にふけり易いものである。しかし人は自分の力ではそれをどうにもすることは出來ない。それは是非もない、悲しい人間の本能であるから。
空には白い雲がながれてゐる。そして老人は何にも言はずに寂しい微笑をした。
ああ、なんといふさびしい微笑であらう。
もの悲しい秋の日の、つめたい墓石の上で。
ああ、なんといふなつかしい微笑であらう。


 青ざめた良心

良心とはなに。
あの青ざめた顏をした良心といふものほど、近代の人間にとつて薄氣味のわるいものはない。
われわれの心に忍び足をするあいつ[#「あいつ」に傍点]の姿をみると、幽靈の出現のまへに起るやうな恐ろしさをかんずる。
むかし、道徳の權威が認められてゐたころには、良心は神の聲であつた。
しかし、今ではなにものの聲だらう。
およそ得體《
前へ 次へ
全67ページ中44ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
萩原 朔太郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング