して、私どもは、なんにも信じてゐない。
「道徳上の犯罪」といふやうな言葉を、私どもはすこしも恐れはしない。けれども私どものおそれるのは、神經的の良心である。人が人に對して不徳な行爲をしたり、下劣な感情をまじへたり、正義に背いたことを行つたり、破廉恥の所業をしたり、或はまた恥づべき邪淫の慾望を起したりしたあとに必ずやつてくる、あの足のない幽靈の出現である。
良心は私どもの生命をくひつめる。
それに責められるのはおそろしい。
新人の懺悔は、罪を悔ゆるのではなくして、罪を忘れたいといふ一念である。
祈るとき、わたしはいつもかういつて祈る。
「わたしの信じない神さま。すべての過去を忘れさせたまへ」
なつかしい微笑
私に言ひたくつてたまらないことがある。
しかし、どうしても言へないことがある。
それを言ふのはあまりにはづかしい。人はだれしも、その心の底にくらい祕密を包んでゐる。人はつめたい屍骸となつたときまで、しつかりとそれを胸に抱きしめて居なければならない。
私はあまりに臆病者でありすぎるかも知れない。けれども私はそれを恥としない。却つて私はかういふ意味での勇者をにくんでゐる。
よい人
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