た。
 とりも直さず大ドストヱフスキイ先生こそ、私の唯一の神である。世界に於けるたつた一人の私の『知己』である。先生だけが私を知つて下さるのだ。私の苦痛や私の人格の全部を理解して下さるのだ。墮落のどん底にもがいて居る人間、どんな宗教でもどんな思想でも到底救ふことの出來ない私といふ不幸な奴を、光と幸福に導いて下さる唯一の恩人であり、聖母であるのだ。
 私はまつたく子供のやうになつて先生の手にすがりついた。そして涙にむせびながら一切の罪惡や苦痛を懺悔した。……特に私のどうすることも出來ない醜劣な本能と、神經病的な良心(?)の苛責について。
 大ドストヱフスキイ先生はやさしく私の心に手をおいてかういはれた。
『私はお前といふ不幸な人間を底の底まで知りぬいて居る。お前の苦痛、お前の煩悶、お前の求めて居る者がすつかり私には解つて居る。而してお前はそのために少しも悲しむことはないのだ、お前は決して惡い性質をもつた男ではないのだ。どうしてそれどころではないのだ。私はお前を心から氣の毒に思つてゐる。もしかすればお前は世界でいちばん善良な子供なのだ。ああ、もう泣くことはない、泣くことはない。ほんとにお前
前へ 次へ
全67ページ中32ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
萩原 朔太郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング