んにも書いてなかつた。私はまつ白な紙と、人間の智識の淺薄なことにつくづく退屈してしまつた。

 私は時として私の肉體の一部がしぜんに憔悴してくることを感ずる。そのとき手に觸れた物象は、みるみる針のやうに細くなり、絹糸のやうになり、しまひには肉眼で見ることもできないやうな纖毛になつてしまふ。そしてその纖毛の先から更に無數の生《うぶ》毛が光り出し、煙のやうにかすんで見える。
 じつとそれをみつめて居るときに、私は胸のどん底から込みあげてくるところの、なんとも言ひやうのない恐ろしい哀傷をかんずる。
 私は兩手にいつぱいの力をこめて、その光る纖毛の一本を根《こん》かぎりにつかまうとする。眼にもみえざる白い生毛に私の全神經をからみつける。そんなかすかな哀れなものに、私の總體の重力で心ゆくばかりすがりつきたいのである。

 私の神經はむぐらもちのやうにだんだん[#「だんだん」に傍点]深く地面の下へもぐりこむ。不幸にして私の肢體の一部が地面の上に殘つて居るとき、不注意な園丁がきて、それを力まかせに張りとばすのである。無神經な男の眼には木の根つ株かなんかのやうに見えたのである。しかし私の張りさけるやう
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