者と雖も尚詩形を借りたる論文に外ならず。而して祈祷に概念あることなし。
西洋人は眞に詩を理解する人種にあらず、彼等の感傷はあまりに混濁す、その最も透純なる者と雖も尚芭蕉に及ばず北原白秋に遠く及ばず。
詩とは『光』なり光體[#「光體」に傍点]にもあらず。
幼兒の眞實を嘲笑するものは必ず衒學の徒なり、
萬葉集の詠嘆は單純なれども千載の後その光を失ふことなし。幼年期の哲理は後に必ず嘲笑さるる秋あるも幼年期の眞實は永劫にその光を失ふことなし。
最も貧弱なる『光』も尚最も巨大なる『物體』にまされり、萬葉の戀歌一首はソクラテスの教理よりも劫久なる生命を有す。
『光』は感傷に發す、眞實の核を磨くことにより。
足は天地に垂降するの足、
手は地上に泳ぎて天上の泉をくむの手、
諸君、肉身に供養せよ、
諸君、おん手をして泥土にけがさしむる勿れ、詩人をして賤民の豚と交接せしむる勿れ、生活に淫する勿れ、手をして恆に高く頭上に輝やかしめ、肉身をして氷山の頂上に舞ひあがらしめよ、
ああ、香料もて夕餐の卓を薫郁せしめよ。
感傷奇蹟、絶倒せんとして視えざる氷をやぶり、疾行する狼を殺す、畜生の如きも金屬なれ
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