いもうとよ、
なんぢの信仰を越えて兄を愛するとき、なんぢのもろ手を合せてくれ。遠い故郷《ふるさと》から、兄の眞實のために聖母のまへに合掌して祈つてくれ。
秋だ、
すべて私を信頼し、私を愛するもののために、私はかぎりなき涙を流す。
いぢらしい私の涙は遠く別れた同性の友のうへにもながれる。
友を思うて都の高臺にいちにちを泣きくらす。松の青葉に晴れすぎし天景のおもひでにさへさしぐむものを。
いもうとよ、
光る兄の靴からかずかぎりなき私の旅行記念を吸つてくれ、
魚に似たる手をもつて私の哀傷を擽つてくれ、
けふちちははの家にかへらば、あした遠い都に兄の生きた墓場をきづいてくれ、
菊の、光る、感傷の、純金の墓場をきづいてくれ、
妹よ、
兄の肉と血をもつて爾の愛人にはなむけするな、
兄の身は疾患頽唐のらうまちずむ[#「らうまちずむ」に傍点]、
兄の靈智は遠いけちえんの墓石に光るラヂウム製の青い螢だ、
妹よ、祈る。
とりわけてなんぢのをさな兒のうへにも榮光あれかしと。
感傷詩論
感傷至極なれば身心共に白熱す、電光を呼び、帷幕を八裂するも容易なり。
天使も時に哀しめども蛇は地上に這ひて泣かず、感傷の人は恆に地に立ちて涙をのむ。
感傷必ずしも哀傷にあらず、憤怒も歡喜もその極に達すれば涙ながる、然れども涙なきものは感傷にあらず。
感傷なき藝術は光なき晶玉の如し、實質あれども感動なし。
女人に感傷なし、然れども感傷の良電體。
ひとびとよ、美しきひとびとよ、つねに君はせんちめんたる[#「せんちめんたる」に傍点]なれ。
昔より言ふごとく死人は白玉樓中にあり。
感傷至上の三昧は玲瓏たり、萬有にリズムを感じ、魚鳥も屏息し、金銀慟哭す。
純銀感傷の人室生犀星。
感傷の人犀星に逢へば菓子も憔悴す。
感傷は理智を拒まず、却つて必然に之を抱擁す、
感傷とは痴愚の謂にあらず、自覺せざる哲理なり、前提を忘れたる結論なり[#「前提を忘れたる結論なり」に傍点]。而して藝術と科學との相違は單に此の一點に存す。
耶蘇の素足は砂にまみれ、その手は奇蹟を生み、その言葉は感傷に震へたり。彼の説くところは道理にあらずして信仰なりき、概念にあらずして祈祷なりき。然もたれか聖書に哲學なしと言ひ得るものぞ。
理智が感情と竝行し、或は之を超越せる場合に於ては祈祷あることなし。ただ感情が理智を慴伏する
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