な苦痛の絶叫をたれ一人として聞いてくれたものは此の地上にない。
私はいつでも孤獨である。言語に絶えた恐ろしい悲哀を私一人でじつと噛みしめて居なければならない。生きながら墓場に埋められた人の絶望の聲を地上のだれがきくことが出來るか。
私が根かぎり精かぎり叫ぶ聲を、多くの人は空耳にしかきいてくれない。
私の頭の上を蹈みつけて此の國の賢明な人たちが斯う言つて居る。
『詩人の寢言だ』
此の國でいちばん眞實のある人間は詩人である。少なくとも彼等は自分の藝術を賣物にして飯を食はうなどとは夢にも思つて居ない。(實際に於てもそれは不可能だ)。
考へても見ろ、どんな種類の人間が、肉を削るやうな苦しい思をして一文にもならない勞作をして居るか。言ふだけのことを言ひ切らねば、私は干物になつても死にきれない。
自分の言ふ言葉の意味が、他人に解らないといふことはどんなに悲しいことであるか。自分の思想が他人に理解されないといふことは死刑以上の苦しみではないか。
私はまいにち苦行僧のやうな辛苦を嘗めつくして居るにもかかはらず、私のもつて居るリズムの百分の一も表現することが出來ない。
けれども萬一、私が『表現の祕訣』を握つたあかつきには、私は私の藝術を捨てることを躊躇しない。なんとなればそれ以上の藝術は、どんな人にとつても必要以上のぜいたくである。
私の詩の生命は、創作後一時間乃至一晝夜である。少なくともその時間だけは立派に光つて見える。併しあとになつて私はいつも騙された人の憤怒と慚愧と失望とを感ぜずには居られない。私は翌月の雜誌に印刷された自分の詩篇に對し、羞恥でまつかの顏をしながら取消しを申込むものである。
私は私の肉體と五官以外に何一つ得物をもたずに生れて來た。そのうへ私は書物といふものを馬鹿にして居る。そして何よりもきらひなことは『考へる』といふことである。(詩を作る人にとつていちばん[#「いちばん」に傍点]惡い病氣は考へる[#「考へる」に傍点]といふことである。中年の人はよく考へる[#「考へる」に傍点]。考へる[#「考へる」に傍点]といふことを覺えた時その人は詩を忘れてしまつたのである)。
そこで私の方針は、耳や、口や、鼻や、眼や、皮膚全體の上から眞理を感得することになつて居る。言はば私は生れたままの素つ裸で地上に立つた人間である。官能以外に少しでも私の信頼
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