昔時の日本人の生活を想へ。眞に生くるものは貴族にして賤民にあらず、賤民に遊戲なる生活なし。
西洋人の思想を受賣りするより外に能なき衒學屋と流行屋を葬れ。
乞食をしても葉卷煙草を吸ふ者は室生犀星一人のみ。
眞に彼は賤民貴族の公爵なる哉。
詩は斷じて空想に非ず、實驗の世界なり。
奇蹟は感動にして形體に非ず、天國を説かんとするものは必ずその口を緘せらる。此の故に詩人の武器は言葉に非ずして傳熱なり。抽象にあらずして象徴なり。
いやしくも理智又は意志がその概念を展開したる祈祷は虚僞なり、かくの如き祈祷には感應あることなし。眞《まこと》に祈祷するものは一所懸命なり、祈祷者はその心靈に於て明らかに神と交歡す、彼自ら何を言ひ何を語りつつあるかを知らざる也。
奇蹟を啓示するものは神なり、神とは宇宙の大精力なり、而して之と交歡し得るもの人間の感傷以外にあること無し。
幼兒と聖人は神に聽かれんために祈祷し、衒學者及び説教者は傍人に聽かれんために祈祷す。
前者の祈祷は『詩』なり、その最も單純なるものと雖も尚『詩』といふを得べし。後者の祈祷に至りては『演説』にして詩に非ず、その最も幽邃深玄を極むる者と雖も尚詩形を借りたる論文に外ならず。而して祈祷に概念あることなし。
西洋人は眞に詩を理解する人種にあらず、彼等の感傷はあまりに混濁す、その最も透純なる者と雖も尚芭蕉に及ばず北原白秋に遠く及ばず。
詩とは『光』なり光體[#「光體」に傍点]にもあらず。
幼兒の眞實を嘲笑するものは必ず衒學の徒なり、
萬葉集の詠嘆は單純なれども千載の後その光を失ふことなし。幼年期の哲理は後に必ず嘲笑さるる秋あるも幼年期の眞實は永劫にその光を失ふことなし。
最も貧弱なる『光』も尚最も巨大なる『物體』にまされり、萬葉の戀歌一首はソクラテスの教理よりも劫久なる生命を有す。
『光』は感傷に發す、眞實の核を磨くことにより。
足は天地に垂降するの足、
手は地上に泳ぎて天上の泉をくむの手、
諸君、肉身に供養せよ、
諸君、おん手をして泥土にけがさしむる勿れ、詩人をして賤民の豚と交接せしむる勿れ、生活に淫する勿れ、手をして恆に高く頭上に輝やかしめ、肉身をして氷山の頂上に舞ひあがらしめよ、
ああ、香料もて夕餐の卓を薫郁せしめよ。
感傷奇蹟、絶倒せんとして視えざる氷をやぶり、疾行する狼を殺す、畜生の如きも金屬なれ
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