いふ人間は、実に頭脳の悪いものだとつくづく思つた。本来言へば、すべての良心のある翻訳者は、小宮氏が言つた位のことは自分で訳本の序に書いている筈である、堀口大学君の如きも、その訳詩集に「失はれたる宝石」といふ題をつけてゐるし、故上田敏博士も、訳詩集を出す毎に翻訳の不可能に属することを、自ら告白して謝罪されてゐた。詩といふ文学は、その深い味を知れば知るほど、いよいよ他国語に翻訳できないことが解つて来るからである。宮森氏にして、若し真に俳句を理解してゐるとすれば、外国人の好評に対して、却つて自ら羞爾たるものを感じなければならない筈である。なぜなら如何なる語学の才能を以てしても、詩(特に俳句)の満足する翻訳が出来ないことは、自分で解つてゐる筈であるから。

 ポオの無韻詩「大鴉」の表現効果は、あのねえばあ[#「あのねえばあ」に傍点]・もうあ[#「もうあ」に傍点]とか、れのああ[#「れのああ」に傍点]とかいふ言葉の、寂しく遠い、墓場の中から吹いて来る風のやうな、うら悲しくも気味の悪い音韻の繰返す反響にある。ポオはそれを意識的に反復させて、詩の全体のモチーフを、その語の表象する気分の週期的反響によ
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