人の言う「*散文的《プロゼック》のもの」について、おなじ思考を対照して行かねばならない。

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* 「詩」の対照は必ずしも「散文」でないかも知れない。なぜなら「散文」は「韻文」に対する言語であって、必ずしも詩における対語でないから。しかし一般の言語としては、やはり散文が詩の対語として用いられてる。それで散文的《プロゼック》という言語は、一般に非詩的のもの、詩的でないものを意味している。ここで使用するプロゼックも、勿論《もちろん》この通解の語意による。
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 人々は一般に、何を詩的と考え、何をプロゼックと思惟するだろうか。もちろん後に言う如く、こうした感じは人によってちがうのである。だが思考を簡明にするために特に一般の場合について、大多数の人が一致している例証を取ってみよう。そして出来るだけ多数の例をあげてみよう。先《ま》ず自然について考えれば、一般に人々は、青い海や松原があるところの、風光|明媚《めいび》の景を詩だと言う。もしくは月光に照らされてる、蒼白《あおじろ》い夜の眺《なが》めを詩的だと言う。或《あるい》は霧や霞《かすみ》のかかってる、
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