学者の中で、ただ独《ひと》り詩人あるのみである。詩人だけが、言語の正しき意味に於て、純に主観主義者と云うべきである。
第八章 感情の意味と知性の意味
自然主義の写実論は、世界をその存在のままに於て、少しも主観に於ける選択をせず、物理的レンズの忠実さで書けと言った。勿論《もちろん》彼等の芸術論は、当時の浪漫派の文学――それは偏狭な道徳観と審美観とで、あまり多くの選択をしすぎた、――に対する反動として言われたもので、その限りに於ての啓蒙《けいもう》的意義を有する。しかしこうした写実論から、その啓蒙的意義を除いて考えたら、世にこれほどセンスの欠けた思想は無かろう。なぜなら主観に於ける選択なくして、いかなる認識も有り得ないから。畢竟《ひっきょう》、認識するということは、この混沌《こんとん》無秩序な宇宙について、主観の趣味や気質から選択しつつ、意味を創造するということに外ならない。
故《ゆえ》に人間によって見られた世界は、それ自ら「意味としての存在」である。そして「価値」とは、意味の普遍に於ける証価を言う。あらゆる人間文化の意義は、宇宙に於ける意味に於て、真善美の普遍価値を
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