る。もちろん彼等も、一定の目的地は持ってるだろう。だがそれに達すると達しないとは、主観に於てどうでも好いので、より当面の興味や仕事は、周囲の社会を観察し、人情を調べ、風俗を知り、世態を眺《なが》めることにかかっている。そして実に、旅行そのものの真意義が此処にあるのだ。故に後者は「旅行のための旅行」であり、真の意味の旅行家[#「旅行家」に丸傍点]と言うべきだろう。これに対して前者は、旅行それ自体に意義を認めない旅人であって、人生の慌だしき、性急なる飛脚である。
この典型に属するものは、多く宗教家、求道者、主義者、哲学者等に見るものであって、芸術家の中には稀れである。なぜならば芸術家とは、芸術すること自身――芸術のための芸術――に、直接の興味をもつ種族だから。実に小説家や戯曲家やは、その最も主観的な作家であってさえも、やはり人生を観察し、風俗を描写し、表現を表現すること自身に於て、当面の直接な興味をもってる。(でなければどんな小説や戯曲も有り得ない。)故に彼等の認識態度は、常に純粋に客観的で、主観の情意から独立している。真に主観的の態度によって、世界を感情の眼で見ているものは、あらゆる文
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