への艶《なま》めかしき没落であることを、明らかにはっきり[#「はっきり」に傍点]と知り得るように、芸術の場合に於ては、表現のみが真実のイデヤを語る。そしてかく表現され得るものは、決していかなる概念をも有していない。概念を有するイデヤは、もはや具象的のものでなくして抽象であり、したがって「主義」の範疇《はんちゅう》に属している。
故に芸術、及び芸術家に於けるイデヤは「観念」という言語の文字感に適切しない。観念という文字は、何かしら一の概念を暗示しており、それ自ら抽象観を指示している。然るに芸術のイデヤは、真の具象的のものであるから、こうした言語感に適切せずして、むしろ VISION とか「思い」とかいう語に当っている。そして尚《なお》一層適切には、「夢」という言語が当っている。そこで観念という文字の通りに、夢という文字にイデヤの仮名をつけ「夢《イデヤ》」として考えると、この場合の実体する意味がはっきり[#「はっきり」に傍点]と解ってくる。即ち芸術家の生活は「観念を掲げる生活」でなくして、「夢を持つ生活」なのだ。もしそれが前者だったら、芸術家でなくして主義者になってしまうであろう。
多
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