世界が、レアールの名で「現実」と呼ばれてる。即ちこの方の見地からは、現実する世界だけが真実であり、実に「|有り《レアール》」と言われるものであって、主観のイデヤに存する世界は、実なき観念の構想物――空想の幻影・虚妄の虚妄――と考えられる。故に両方の思想は反対であり、同じレアールという言語が、逆に食いちがって使用されてる。
[#ここから3字下げ]
この両方の思想の相違を、最もよく説明するものは、プラトンとアリストテレスの美術論である。プラトンによれば、自然はイデヤの模写であるのに、美術はその模写を模写する故に、虚妄の表現であり、賤《いや》しく劣等な技術であるというのである。(彼が音楽を以て最高の芸術とし、美術を以て劣等の芸術と考えたのは、いかにもプラトンらしく自然である。)これに反してアリストテレスは、同じく美術を自然の模写であると認めながら、それ故[#「それ故」に傍点]に真実であり、智慧《ちえ》の深い芸術であると考えた。
[#ここで字下げ終わり]
要するに客観主義は、この現実する世界に於て、すべての「現存《ザイン》するもの」を認め、そこに生活の意義と満足とを見出《みいだ》そうと
前へ
次へ
全334ページ中38ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
萩原 朔太郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング