態度である。即ち形式音楽は「音楽としての美術」と言うべく、これに対する内容主義の標題楽は、正に「音楽の中での音楽」というべきだろう。


     第三章 浪漫主義と現実主義


 上来述べ来《きた》ったように、あらゆる一切の芸術は、主観派と客観派との二派にわかれ、表現の決定的な区分をしている。実にこの二つの者は、芸術の曠野《こうや》を分界する二の範疇《はんちゅう》で、両者は互に対陣し、各々の旗号を立て、各々の武器をもって向き合ってる。
 人間の好戦的好奇心は、しばしばこの両軍を衝突させ、勝敗の優劣を見ようと欲する。しかしながら両軍の衝突は、始めより無意味であって、優劣のあるべき理由がない。なぜならば主観派の大将は音楽であり、客観派の本塁は美術であるのに、音楽と美術の優劣に至っては、何人も批判することができないからだ。もし或《あるい》は、強《し》いてこれを批判するものがありとすれば、それは単なる趣味の好悪《こうお》、個人としての好き嫌《きら》いにすぎないだろう。(あらゆる芸術上の主義論争は、結局して個人的な趣味の好悪にすぎないのである。)
 然るにそれにもかかわらず、古来この両派の対陣
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