で吾人《ごじん》は、この前の者を称して「主観主義」と言い、後の精神を称して「客観主義」と言う。西洋の文明、及びその芸術に於て考えられる主観と客観の関係は、すべてこの意味の観念に外ならない。即ちその客観と言うも、本来主観の逆説であり、相対関係の線上に立つものに外ならない。然るに日本の文明と芸術とは、始めからこの相対を超越し、絶対の立場で客観や主観を考えている。日本人の文明思潮は全然外国とちがうのである。
日本人の文明観では、自我意識が常にエゴの背後に隠れている。なぜなら真の絶対自我は、非我と対照される自我でなくして、かかる相対関係を超越したところの、絶対無意識のものでなければならないから。(故に前にも他の章で言った通り、日本の会話では「私」の主格が省略される。)然るに宗教観や倫理観やは、本来エゴイズムのものであって、自我意識の強調されたものなる故、日本人にはこの種の情操が本性していない。日本人はすべて超宗教的、超道徳的である。したがってまた日本人は、これに対する反動の懐疑思想も持っていない。即ち日本には、古来いかなる哲学も科学も無いのである。
こうした日本人の文明は、ひとえにただ芸術
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