。その始めは彼等の国語も、殆ど文学的に使用できない粗野の蛮人語にすぎなかったのだ。然るに今日、我々の日用語がそれに同じく、漸く始めて文学的修辞のノミが、第一刀を加えようとしている事態にある。そこに詩としての使用に堪え得る、音律や美がないのは当然である。
 されば現詩壇の低落は、詩人その人の無能でなくして、彼等の使用する口語そのものの欠陥にある。もし文章語を使用すれば、今の多くの詩人等も、決して過去の作家に劣らない詩を書くだろう。しかも彼等は、あえてその道を取ろうとしない。何故だろうか? 他なし[#「他なし」はママ]今日の詩人にとって、文章語そのものが既に過去に属し、蒼古《そうこ》として生活感のないものに属するからだ。実に文章語の有する世界は、鎖国日本の伝統のものに属して、新日本の鮮新感に触覚しない。故に今日の詩人等は、自ら口語詩の非を知りつつ、しかもあえてその危険を冒しているのだ。著者の如きもまたその不運な一人であって、自ら自己の非芸術を感じながら、しかも如何《いかん》ともすることができないのだ。
 此処に於て最近の詩は、この音律美によって失うものを他の手段によって代用させ、以て漸く詩
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