んぎゃく》感に基調している。田舎政治家の煽動《せんどう》演説におだてられて、中学生的無邪気の感激で跳《は》ね廻るような文学は、何等の叙事詩《エピック》でもなく叙事詩的《エピカル》なものでもありはしない。思想の点は別としても、第一にこうした詩は、真の高翔感的陶酔をあたえるべき、力強きエピカルの音律美を持たねばならぬ。そして詩に於けるこの魅力は、救世軍的大道演説の太鼓のような、がさつ[#「がさつ」に傍点]な雑音とは別物である。何等かそこには、しっくり[#「しっくり」に傍点]として心に沁《し》み、胸線の秘密にふれ、深い詩情の浪《なみ》を呼び起してくるようなもの、即ち音律としての「美」がなければならない。
実に驚くべきことは、今日の日本の詩に、一もこの音律美がないということである。その或るものは単調にぼたぼた[#「ぼたぼた」に傍点]とし、他の或るものはがさつ[#「がさつ」に傍点]に粗暴な音声をふり立てている。抒情詩的にも、叙事詩的にも、一も心に浪を起し、真の詩的陶酔を感じさせる自由詩がない。そしてこんな没音律の詩というものは、支那《しな》にも西洋にも、昔にも今にも、かつて見たことがないのであ
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