めに要求された。そして尚《なお》かつ、それは日本詩の原始的発生に帰るところの、一の自覚されない本然主義の運動でもあったのだ。
かくの如く日本語は、韻文として成立することができないほど、音律的に平板単調の言語であるが、他方に於てこれを補うところの、別の或る長所を有している。即ち語意の含蓄する気分や余情の豊富であって、この点遙かに外国語に優《まさ》っている。かの俳句等のものが、十七字の小詩形に深遠な詩情を語り得るのは、実にこの日本語の特色のためであって、僅《わず》か一語の意味にさえも、含蓄の深いニュアンスを匂《にお》わせている。故に俳句等の日本詩は、到底外国語で模倣ができず、またこれを翻訳することも不可能である。そしてこの日本語の特色から、我が国の詩は早くより象徴主義に徹入していた。その象徴主義の発見は、西洋に於て極めて尚最近のニュースに属する。(象徴の精神が、それ自ら自由主義であることに注意せよ。)
以上吾人は、主として国語の関係からのみ、日本詩歌の特色を考えてきた。しかし国語は民族の反映である故に、吾人がかかる言語を持つことは、取りも直さず我々の国民性が、かかる特色を有することに外
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