は、やはり象形によって音楽のように情象するので、決して小説の如く描写しているのではない。しかし何れにせよこの行き方は、言語の特質を生かすべき、正道の表現にはずれている。
[#ここで字下げ終わり]
第十章 詩に於ける主観派と客観派
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以上、本書の各章を通じて論証し来《きた》ったように、詩の本質は「主観」であり、実に主観以外の何物でもない。詩とはこの主観的なる精神が、主観的なる態度によって言語に表現されたものを言うのである。然るに此処《ここ》に考うべきは、詩それ自体の世界に於て、また特に主観派と言うべきものと、客観派と言うべきものとが、互に対立するという事実である。そもそもこの矛盾はどう釈《と》くべきか。
この書の最後に残されたる、真の根本的なる重大問題はこれである。
既に早く、本書のずっと前の章で説いたように、あらゆる表現の形式には、それぞれの種目に於て――音楽にも、美術にも、小説にも――主観派と客観派との対立がある。故《ゆえ》に本来主観的なる詩の中にも、それ自身の部門に於て、同じような二派の対立がなければならぬ。今この事実を、日本と西洋との詩
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