客観」であり、主観は常に「熱烈なる主観」である。この逆即ち「冷静なる主観」や「熱烈なる客観」などは、宇宙のどんな言語にも存在しない。熱と主観は一語であり、冷と客観は一義である。それ故にまた、あらゆる主観芸術の特色は温感であり、あらゆる客観芸術の特色は冷感である。多くの芸術品の上に於て、いかにこの二つの著るしい対照が現われてるかを、さらに次章に於て論説しよう。


     第二章 音楽と美術
       ――芸術の二大|範疇《はんちゅう》――


 人間の宇宙観念を作るものは、実に「時間」と「空間」との二形式である。故《ゆえ》に吾人《ごじん》のあらゆる思惟《しい》、及びあらゆる表現の形式も所詮《しょせん》この二つの範疇にすぎないだろう。そこで思惟の様式についてみれば、すべての主観的人生観は時間の実在にかかっており、すべての客観的人生観は空間の実在にかかっている。所謂《いわゆる》唯心論と唯物論、観念論と経験論、目的論と機械論等の如き、人間思考の二大対立がよるところは、結局して皆|此処《ここ》に基準している。
 ところでこの対立を表現について考えれば、音楽は即ち時間に属し、美術は即ち空間
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